日本歴史地名大系 「苗代川村」の解説 苗代川村なえしろがわむら 鹿児島県:日置郡東市来町苗代川村[現在地名]東市来町美山(みやま)宮田(みやだ)村の北東、養母(やぼ)村の南西に位置する。出水(いずみ)筋が通る。文禄・慶長の役の際に島津氏が連行してきた朝鮮人を居住させた村。応永八年(一四〇一)四月、奥州家島津元久が市来忠家を攻めたとき元久軍は鎮守(ちんじゆ)山に陣取ったという(応永記)。鎮守山は当地の地名である。「伊集院由緒記」によると、島津義弘は慶長三年(一五九八)に七〇余人の朝鮮人を連行し、四三人を串木野島平(しまひら)(現串木野市)に、一〇余人を神之川(かみのかわ)に、二〇余人を鹿児島城下の高麗(こうらい)町に居住させた。同八年には串木野の者を当地に移住させた。同一〇年に市来郷内から高八七石を分け、寛文九年(一六六九)に伊集院(いじゆういん)郷の宮田村、寺脇(てらわき)村・大田(おおた)村(現伊集院町)三ヵ村の合計高二〇〇石を分けて居住させ一村とし、苗代川村と称し、高麗町の者も移住させた。地頭仮屋は延宝三年(一六七五)釜之平(かまのひら)に建てられたが、同八年に藤之尾(ふじのお)に移され、地頭は貞享元年(一六八四)には当村に赴任した。宝永元年(一七〇四)・同二年には当村に居住していた者の一部を鹿屋(かのや)郷笠之原(かさのはら)(現鹿屋市)に移した。同六年下谷口(しもたにぐち)村(現伊集院町)にあった伊集院郷の地頭仮屋を止め、仮屋は当村一所とした。「鹿児島県地誌」では古くは市来郷養母村と一村であったが、慶長八年に分割して苗代川村と称し、伊集院郷に所属させたとある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by