伊集院郷
いじゆういんごう
中世の伊集院の地名を継承した近世郷。鹿児島藩の近世外城の一つ。薩摩半島の中部および北部、日置郡の中央部から東部を占め、鹿児島城下から四里半の地にある(「三州御治世要覧」など)。文禄三年(一五九四)から島津氏領の薩摩・大隅・日向三国の太閤検地が行われ、伊集院村の高一万四千三二一石余は島津義弘に与えられた(同四年六月二九日「豊臣秀吉朱印知行方目録」島津家文書)。当郷所属村は現伊集院町に属する清藤・土橋・竹之山・中津(中川か)・麦生田・郡・古城・恋之原・飯牟礼・徳重・野田・寺脇・大田・上神殿・下神殿・桑畑・猪鹿倉のほか、谷口(現伊集院町・松元町)、石谷・福山・直木・春山・入佐(現松元町)、有屋田・嶽(現郡山町)、宮田・神之川・苗代川(現東市来町)の二八ヵ村(江戸時代中期までに谷口村が上・下二村に分れ、二九村となる)で、ほかに神之川村に伊集院浦、春山村に春山野御牧、苗代川村に高麗人町があった(三州御治世要覧)。苗代川村はもと市来郷養母村(現東市来町)のうちであったが、慶長八年(一六〇三)串木野下名村(現串木野市)から朝鮮人を移住させ、苗代川村を立てた寛文五年(一六六五)に当郷に組入れられた。貞享元年(一六八四)に独立したが、享保四年(一七一九)に再び当郷に復したという(「伊集院由緒記」など)。中川村と福山村は文禄の役での軍功によって島津義弘から島津忠長(宮之城島津氏祖)に与えられたと伝え(同書)、以降宮之城島津氏の私領で推移した。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
Sponserd by 