若林城跡(読み)わかばやしじようあと

日本歴史地名大系 「若林城跡」の解説

若林城跡
わかばやしじようあと

[現在地名]仙台市古城二丁目

藩祖伊達政宗の居城として寛永四年(一六二七)・同五年に広瀬川左岸の平野に普請された平城で、現在の宮城刑務所の敷地一帯である。古城ふるじろ小林わかばやし城とも称したと思われる。安政仙府絵図にみられる若林城跡と宮城刑務所の平面図を比較すると、ほぼ同じ外郭線の構造をしている。敷地は東西約四〇〇メートル、南北約三五〇メートルで、縁辺には土塁が、その外周には堀がめぐっていた。土塁は高さ二丈余、幅一〇間余で、張出しが北西北東南西にみえ、東辺と西辺のほぼ中央に出入口が設けられ、いずれも郭内で枡形状になっている。「仙台領古城書上」に古城二つがみえ、天文年間(一五三二―五五)国分氏一五代盛氏が居城したほうは東西四〇間、南北三八間、同一七代盛重の居城は東西五八間、南北三八間。「東奥老士夜話」によれば当城は国分氏の居城跡に築かれたというが、右のいずれかは不詳。

政宗は仙台城本丸で執務するほかは本丸南東の花壇かだんの屋敷、あるいは三の丸跡にあったとされる下屋敷しもやしきで時を過ごしていた(「貞山公治家記録」慶長一八年条など)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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