若柳吉登代(読み)ワカヤギ キチトヨ

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「若柳吉登代」の解説

若柳 吉登代
ワカヤギ キチトヨ


職業
日本舞踊家(正派若柳流)

本名
中村 千世

別名
前名=若柳 吉千世

生年月日
明治10年 10月22日

出生地
宮城県 仙台市虎屋横丁

学歴
東京音楽学校(東京芸術大学)〔明治33年〕卒

経歴
15歳で初代松島金昇に入門、一時花柳寿輔に師事絵画、音楽の才に恵まれ、音楽学校卒後女学校の音楽教師となったが、坪内逍遙の勧めで家庭舞踊をめざした。一時市川九女八の下で舞台に立ち、その後若柳流初代家元寿童に入門。大正2年吉千世、次いで吉登代を名乗った。上流子女に舞踊を教え、「中村千世舞踊同人会」「若柳会」「若柳舞踊研究会」などの会に出演、昭和22年「古典舞踊研究会」を興し、26年正派若柳流結成で総務となった。インテリ舞踊家といわれ、発表作品に「俄仙人」「仁和寺物語」「刺客」「井筒」など。著書に「自画像」(望月百合子編)がある。

没年月日
昭和29年 10月10日 (1954年)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

20世紀日本人名事典 「若柳吉登代」の解説

若柳 吉登代
ワカヤギ キチトヨ

明治〜昭和期の日本舞踊家(正派若柳流)



生年
明治10(1877)年10月22日

没年
昭和29(1954)年10月10日

出生地
宮城県仙台虎屋横丁

本名
中村 千世

別名
前名=若柳 吉千世

学歴〔年〕
東京音楽学校〔明治33年〕卒

経歴
15歳で初代松島金昇に入門、一時花柳寿輔に師事。絵画、音楽の才に恵まれ、音楽学校卒後女学校の音楽教師となったが、坪内逍遙の勧めで家庭舞踊をめざした。一時市川九女八の下で舞台に立ち、その後若柳流初代家元寿童に入門。大正2年吉千世、次いで吉登代を名乗った。上流子女に舞踊を教え、「中村千世舞踊同人会」「若柳会」「若柳舞踊研究会」などの会に出演、昭和22年「古典舞踊研究会」を興し、26年正派若柳流結成で総務となった。インテリ舞踊家といわれ、発表作品に「俄仙人」「仁和寺物語」「刺客」「井筒」など。著書に「自画像」(望月百合子編)がある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「若柳吉登代」の解説

若柳吉登代 わかやぎ-きちとよ

1877-1954 明治-昭和時代の日本舞踊家。
明治10年10月22日生まれ。漢学者堤正勝の次女。大正2年初代若柳寿童に入門。新作や古典の新振り付けも手がけた。昭和26年正派若柳流発足で総務に就任。昭和29年10月10日死去。76歳。宮城県出身。東京音楽学校(現東京芸大)卒。本名は中村千世。前名は吉千世。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「若柳吉登代」の解説

若柳 吉登代 (わかやぎ きちとよ)

生年月日:1877年10月22日
明治時代-昭和時代の日本舞踊家。正派若柳流総務
1954年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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