デジタル大辞泉
「三輪神社」の意味・読み・例文・類語
出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
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三輪神社
みわじんじや
[現在地名]淀江町小波
東岡畑に鎮座する。旧郷社。祭神は大物主命・速須佐之男命・少名毘古那命。もとは三輪山東方の宮広峰にあったが、正保二年(一六四五)現在地に移された。旧社地は東西八町・南北六町余に及び、三峰に分れ東を宮広峰、中を鳥居峰、西を堂の峰と称した(「三輪神社由緒」県神社誌)。正保二年の三輪神社縁起書(社蔵)によれば、崇神天皇のとき国家鎮護の神として大物主命が勧請され、三輪山に祀られたという。
三輪神社
みわじんじや
[現在地名]羽後町杉の宮 大門
杉の宮集落の中央部北寄りにあり、羽後大戸川により形成された扇状地の扇端部に位置する。祭神は大物主大神。旧郷社。
縁起によれば、養老年中(七一七―七二四)の創建で、のち奥州平泉藤原秀衡らの祈願所となり、小野寺氏代々の修復を受けたという。「柞山峯之嵐」に次のように伝える。
<資料は省略されています>
正保四年(一六四七)の出羽一国絵図には杉宮権現とある。佐竹氏累代の崇敬も厚く、参詣者には休暇を与えられる秋田藩内十二社の一に定められていた(当用式)。宝永元年(一七〇四)の「覚」(国典類抄)には「杉之宮」とみえ「右拾弐社大破候に付、為建立之宝鏡院より御領内勧進之願被申立候(中略)公儀よりも御助成可被成社共に在之、願之通御領内江被仰渡候」と藩の手で改修が行われた。
三輪神社
みわじんじや
[現在地名]岐阜市三輪
武儀川右岸に鎮座。祭神大物主命、旧郷社。美濃国神名帳の山県郡座一二社の筆頭にみえる正二位美和大明神に比定されるが、創建年代はつまびらかではない。天平勝宝二年(七五〇)四月二二日の美濃国司解(東南院文書)にみえる「山県郡大神戸戸主神直大庭」を大神神社の神戸と解し、当社に関連するものと考えられている。元禄一二年(一六九九)の三輪村明細帳(後藤文書)には三輪大明神社とあり、拝殿長さ五間・横三間、本堂長さ・横各三間で、祭礼は四月九日。末社は八幡宮・山王社・若宮社・南宮社・御鍬神の五社。
三輪神社
みわじんじや
[現在地名]津幡町北中条
北中条の東部丘陵、坊ヶ藪に鎮座。旧村社。主祭神は大物主命で、大山咋命を配する。「延喜式」神名帳に登載される加賀国加賀郡一三座のうち同名社に比定する説がある。近世は井上庄一七ヵ村の総社とされ、中条山王明神を称し(三州式内等旧社記)、山王社と通称された。承久二年(一二二〇)の勧請と伝える(神社由来書上)。その後加賀藩主前田利常の妻天徳院の化粧料に北中条村が充てられ、慶長一八年(一六一三)に社殿改築がなされ、米三〇俵の寄進を受けたという(加賀志徴)。
三輪神社
みわじんじや
[現在地名]三田市三輪
丘陵の山裾、字丸山に鎮座する。江戸時代には三輪明神と通称。祭神は大己貴命。旧村社。元禄一四年(一七〇一)の社記(三輪神社蔵)によれば、往昔大国主命の神裔が天神山に祭場を設けて祖神を祭祀していたが、のち当地に大和国大神神社の封戸が置かれ、大神郷と称した。文和年間(一三五二―五六)当地の領主松山弾正が天神山から現在地に移し、大和の三輪神社に準じ三輪神社と称したという。
三輪神社
みわじんじや
[現在地名]中区大須三丁目
祭神大物主大神・徳川義宣公・猿田彦神。旧村社。社伝によれば、元亀年間(一五七〇―七三)小林城主牧若狭守長清が、生地大和の大神を当地に勧請したという。「寛文覚書」には「春日大明神、おんない明神」と記されるのみで、三輪の名はみえない。「府志」に「三輪社」、「府城志」に「三輪明神社」とある。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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三輪神社
秋田県雄勝郡羽後町にある神社。養老年間(717年~724年)の創建とされる。本殿と境内社須賀神社本殿は国の重要文化財に指定されている。
出典 小学館デジタル大辞泉プラスについて 情報
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世界大百科事典(旧版)内の三輪神社の言及
【大神神社】より
…旧官幣大社。三輪神社,三輪明神ともいう。歴史的には,最も古式の信仰形態をとどめる神社として有名。…
※「三輪神社」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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