日本大百科全書(ニッポニカ) 「茨木重謙」の意味・わかりやすい解説
茨木重謙
いばらぎしげかね
(1767―1816)
江戸後期の津(つ)藩郡奉行(こおりぶぎょう)。1783年(天明3)17歳で300石の家禄(かろく)を継ぎ大小姓(おおごしょう)加役に入る。江戸藩邸にも勤めたが、89年(寛政1)勘定頭(かんじょうがしら)役、翌年24歳で郡奉行になる。藩主に信頼されて寛政(かんせい)期の藩政改革を支え、国益増大のための殖産政策と本百姓経営を復興させるための種々の農政に取り組んだ。雲林院(うじい)用水井堰(いぜき)改造ではのちに神に祀(まつ)られるほど功績をたたえられたが、貸借無期延期や均田などの政策を強行しようとして農民に反発され、96年の百姓一揆(いっき)で失脚した。その後蟄居(ちっきょ)中の親類方から立ち退き、名を変えて放浪したが、1812年(文化9)原禄で召還された。
[深谷克己]
『『津市史 第3巻』(1936・津市)』