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茶屋ヶ原村(読み)ちややがはらむら

日本歴史地名大系 「茶屋ヶ原村」の解説

茶屋ヶ原村
ちややがはらむら

[現在地名]上越市茶屋ヶ原

吉浦よしうら村の北西に位置し、北陸道が通る。正保国絵図に村名はみえるが高は不記載。天和三年郷帳では高四五石九斗余。諏訪大明神宮があり村中支配(頸城郡誌稿)。字下原したはら乳母嶽うばだけ神社がある。祭神迦具奴知命・建御名方命。創祀年代は不明だが、伝えによれば鎮座地には往古から石祠があって奴奈川姫の陵といい、また虫生岩戸むしういわと海中にかつて海島があり、奴奈川姫の神霊を祀っていたが、海島崩壊ののち此地に奉遷したという。下って後二条院の頃源義朝の臣野宮権九郎という者が流れ来って当地に居住、天暦元年(九四七)の春、海中より霊像を感得してこれを奴奈川姫の石祠に合祀、その後天正三年(一五七五)に至り、神託によってその像を逆さにして社殿の下に埋め、婦人乳汁不足のものは吾を祈念せよとの神誓により乳母嶽不動と称した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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