草水村(読み)そうずむら

日本歴史地名大系 「草水村」の解説

草水村
そうずむら

[現在地名]甘木市草水

下浦しもうら村の南東に位置する。夜須やす郡に属し、北東下座げざ平塚ひらづか村、東は同郡中寒水なかそうず村・小隈おぐま村、南西筑後御原みはら稲数いなかず(現大刀洗町)。元和九年(一六二三)から秋月藩領。永和四年(一三七八)と推定される九月一五日の少弐頼澄書下写(町村書上帳/南北朝遺文(九州編)五)によると、加世孫三郎に「夜須東郷内寒水村拾町」などが与えられている。この「寒水村」は当地および下座郡中寒水村を含む一帯にあたるか。慶長石高帳に村名が載り、慶長七年(一六〇二)の検地高五五一石余、うち大豆四二石余。

草水村
くそうずむら

[現在地名]安田町草水

阿賀野川が山地から平地に流れ出る谷口右岸に位置し、東は小松こまつ村、西は六野瀬ろくのせ村。永正五年(一五〇八)五月一八日の長尾為景書状(大見安田氏文書)に「草水津口」とある。天正二年(一五七四)九月の安田氏給分帳(北方文化博物館蔵)には草水次郎右衛門尉らの名があり、当村に知行地をもっていた。文禄三年(一五九四)とみられる安田堅親知行定納覚(大見安田氏文書)には草水村二九石八升とあり、ほかに永不作六貫五〇〇文。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報