石部宿(読み)いしべしゆく

日本歴史地名大系 「石部宿」の解説

石部宿
いしべしゆく

[現在地名]石部町石部

東海道五三宿の一。宿高一千七一九石余、東の水口みなくち宿(現水口町)まで三里半、西の草津宿まで二里半一七町五四間(宿村大概帳)。石部村に属し、江戸時代後期には一二町を数えた。

〔沿革と規模〕

伊勢大路(古代東海道)が通り、諸人の通行があったとみられ当地付近に石部駅家が所在した。「雅実公記」長治二年(一一〇五)八月条によると、伊勢勅使を命ぜられた源雅実が、帰路二〇日に伊勢を発って「壱志駅」に泊まり、二一日に「関駅家」、二二日には通常のルートである「甲可」を越えて、「石部駅家」にまで至り、翌二三日京都に到着している。嘉承二年(一一〇七)二月一一日条以下でも、再び雅実が伊勢勅使になったことが知られ、一一日「勢多駅家」に泊まった雅実は、一二日には「石部駅家」に入り、一四日に伊勢に到着、帰路も「石部駅館」を利用している。石部駅は臨時に設置された可能性が高いが、のちの石部宿に継承されたとも考えられよう。明徳四年(一三九三)九月、足利義満は伊勢参宮の途次当地に宿泊したという(足利治乱記)。元亀二年(一五七一)織田信長の支配下にあったとき田中たなか村・植田うえだ村・たに村・はす村・平野ひらの村の五ヵ村を併せて石部町となったという伝承があり、戦国時代末には町場の形成があったものと推定される。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

事典・日本の観光資源 「石部宿」の解説

石部宿

(滋賀県湖南市)
湖国百選 街道編指定の観光名所。

出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報

世界大百科事典(旧版)内の石部宿の言及

【石部[町]】より

…東寺にある長寿寺本堂,西寺の常楽寺本堂,三重塔は国宝,白山神社拝殿,吉御子神社本殿などは重要文化財に指定。【松原 宏】
[石部宿]
 近江国甲賀郡の宿駅。石部の名は《延喜式》の神名帳にみえる石部鹿塩上神社によっている。…

※「石部宿」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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