日本歴史地名大系 「石部宿」の解説
石部宿
いしべしゆく
〔沿革と規模〕
伊勢大路(古代東海道)が通り、諸人の通行があったとみられ当地付近に石部駅家が所在した。「雅実公記」長治二年(一一〇五)八月条によると、伊勢勅使を命ぜられた源雅実が、帰路二〇日に伊勢を発って「壱志駅」に泊まり、二一日に「関駅家」、二二日には通常のルートである「甲可」を越えて、「石部駅家」にまで至り、翌二三日京都に到着している。嘉承二年(一一〇七)二月一一日条以下でも、再び雅実が伊勢勅使になったことが知られ、一一日「勢多駅家」に泊まった雅実は、一二日には「石部駅家」に入り、一四日に伊勢に到着、帰路も「石部駅館」を利用している。石部駅は臨時に設置された可能性が高いが、のちの石部宿に継承されたとも考えられよう。明徳四年(一三九三)九月、足利義満は伊勢参宮の途次当地に宿泊したという(足利治乱記)。元亀二年(一五七一)織田信長の支配下にあったとき
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報