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馬借 ばしゃく

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

馬借
ばしゃく

鎌倉~室町時代,馬を利用して物資を輸送した運送業者。平安時代末期から駄馬をもつ都市近郊の農民が,農閑期に物資の運送に従事したのが始りといわれる。鎌倉時代末期から活躍するようになり,農業従事者の兼業,運送を専業とする者,運送のかたわら商品を販売する者などがあった。一般に宿場問屋,荷駄屋の統制下にあったと考えられる。近江の大津,坂本,若狭の敦賀,小浜,山城の淀,山崎,木津など交通の要地に多く居住し,京都,奈良などに物資を輸送した。室町時代には土一揆の主体として活躍した。

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デジタル大辞泉の解説

ば‐しゃく【馬借】

中世、馬上に荷を乗せて運んだ運送業者。主に畿内とその周辺に発達。近江(おうみ)の大津・坂本、山城の木津などが有名。しばしば土一揆の主体となった。
馬借一揆」の略。
「京都は―の沙汰之(これ)在り」〈大乗院寺社雑事記

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百科事典マイペディアの解説

馬借【ばしゃく】

中世・近世,馬を利用して物資輸送に当たった運送業者。中世には近江(おうみ)の大津・坂本・草津,山城の淀・山崎・木津(きづ),若狭の小浜(おばま)・敦賀など年貢や商品輸送の要地にいて,問丸の支配下にあった。
→関連項目一揆坂本車借宿・宿駅正長の土一揆駄賃稼徳政一揆

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世界大百科事典 第2版の解説

ばしゃく【馬借】

中世・近世の運送業者。馬の背に荷駄をのせて運送し,駄賃を稼いだ。11世紀半ばに成立をみた《新猿楽記》に馬借,車借とでてくるのが初見史料であろう。鎌倉時代中ごろから,その活躍をあとづけることができるが,越前の敦賀,若狭の小浜,近江の大津・坂本・草津,山城の淀・山崎・木津・伏見・横大路・鳥羽,大和の生駒・鳥見・八木・布留郷などが馬借の集住地として有名である。これらの多くは外港の地であり,水運されてきた物資を京都や奈良に運送するのを主たる仕事とした。

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大辞林 第三版の解説

ばしゃく【馬借】

中世、馬で物資を輸送した運送業者。近江(今の滋賀県)の大津・坂本、若狭(今の福井県)の敦賀など、交通の要地に発達。しばしば土一揆の主体となった。
馬借一揆。また、転じて一揆・反乱などのこと。 「 -ガオコル/日葡」

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

馬借
ばしゃく

平安後期から戦国期まで活躍した馬の背を利用する交通運輸業者。11世紀に成立した『新猿楽記』に馬借の語がみえ、大津(おおつ)・淀(よど)・山崎(やまざき)など畿内(きない)を中心とした交通の要衝や港・宿場を活動の拠点とした。比叡山延暦寺(ひえいざんえんりゃくじ)で勧学講(かんがくこう)が行われた際の記録である『勧学講条々』によれば、敦賀(つるが)から湖北の海津(かいづ)への馬借は馬13疋(びき)で一類をなして活動していたが、1270年(文永7)の彼らの駄賃は米一駄一石当り、一斗から一斗四、五升ほどで、駄賃を少なくすると、米を不法に減じたという。また馬借の営業活動を伝えている『西野(にしの)文書』によると、北陸街道で活躍した越前河野浦(えちぜんこうのうら)の馬借集団は1508年(永正5)「浦、山内(やまうち)馬借定書(さだめがき)」を作成しているが、これによると、彼らは単に物資輸送だけにとどまらず、塩・榑(くれ)の独占販売権をもっていた。この独占権は、同年さらに越前の戦国大名朝倉貞景(あさくらさだかげ)からも保障され、「公方(くぼう)様馬借中(ちゅう)」と称して、北陸街道を中心とした地域を商圏とした。その一方彼らには街道整備の義務も課せられていた。馬借はこのような交通運輸上にもつ実力を背景として、自己の経済活動を守るために、しばしば馬借一揆(いっき)を繰り返した。1466年(文正1)に山城(やましろ)国で起きた馬借一揆が京や奈良への通路を閉鎖できたのは、こうした彼らの日常活動によるものである。[鈴木敦子]
『豊田武著『中世の商人と交通』(1983・吉川弘文館) ▽佐々木銀弥著『日本の歴史13 室町幕府』(1975・小学館) ▽脇田晴子「敦賀湾の海運について」(福井県立図書館、福井県郷土誌懇談会編『日本海海運史の研究』所収・1967・福井県郷土誌懇談会)』

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世界大百科事典内の馬借の言及

【近江国】より

…半済はのち永続的,全国的となり,荘園の年貢だけでなく,土地そのものを半分に分割するようになって,荘園制を崩壊に導いた。
[土一揆と馬借]
 鎌倉中期以来,農村では農民の自治的結合としての惣(村)が形成された。近江の農村はとくに先進的であり,すでに1262年(弘長2)現存最古の村掟(村法)が蒲生郡奥島荘で制定されている。…

【坂本】より

…このころより全国的な商品流通の発展にともなって,坂本は東国・北国から琵琶湖を経て京都へ至る物資輸送ルート上の中継港湾都市としての機能を高めていった。この結果,湖岸部には運送業者である多数の馬借(ばしやく)や商人の居住がすすんでいった。馬借は下坂本の富崎,比叡辻,戸津,坂井の地に居住し,山門に従属しつつ京都~坂本間の物資輸送に従事していた。…

【正長の土一揆】より

…11月にも土一揆が京中を攻めたが,幕府から徳政令が出されなかったようである。また同月には,南山城の木津,加茂などの馬借が奈良を攻め,これに宇陀郡の一揆が加わって徳政令の発布を要求した。そのため,11月25日に興福寺は奈良中に7ヵ条からなる徳政令を出した。…

【馬借一揆】より

…中世後期に陸上運輸業者の馬借が集団で蜂起した事件。土一揆(つちいつき)の先頭を切った行動として注目されているが,元来山門の強(嗷)訴(ごうそ)の一環として登場した事件である。…

※「馬借」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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