荒川北岸地区(読み)あらかわほくがんちく

日本歴史地名大系 「荒川北岸地区」の解説

荒川北岸地区
あらかわほくがんちく

阿武隈川左岸、ほぼ荒川とまつ川に挟まれた地域。東端には江戸時代福島城下が形成され、東部の一部はその町並地続きをなしていた。城下北方には信夫しのぶ山がある。西部は吾妻連峰から東に延びる山地で、同連峰を水源とする松川、荒川の支流川などが東流し、扇状地を形成する。当地区の近世村はすべて信夫郡に属し、天正一九年(一五九一)蒲生氏領、慶長三年(一五九八)上杉氏(のち米沢藩)領、寛文四年(一六六四)幕府領、延宝七年(一六七九)福島藩領、天和二年(一六八二)幕府領、貞享三年(一六八六)福島藩領、元禄一三年(一七〇〇)幕府領となる。その後福島城下周辺は同一五年福島藩領となって幕末に至り、旧吾妻町の村などは相給も含め錯綜した領主の変遷をたどり幕末に至る。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報