荒川重平(読み)アラカワ ジュウヘイ

20世紀日本人名事典 「荒川重平」の解説

荒川 重平
アラカワ ジュウヘイ

明治・大正期の数学者 海軍兵学寮教官



生年
嘉永4年(1851年)

没年
昭和8(1933)年12月25日

学歴〔年〕
沼津兵学校

経歴
沼津兵学校の同期であった中川将行とともに海軍兵学寮入学を志すが、入学の時期を逃して頓挫。明治4年母校の教授であった赤松則良の紹介で海軍兵学寮教官となり、海軍における数学教育に当たる。また東京数学会社会員として洋式数学の啓蒙活動や、訳語統一などに尽力し、12年には中川共著で日本初の横書き数学書「幾何問題解式」を刊行。その他にも数学教科書などの編著がある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

朝日日本歴史人物事典 「荒川重平」の解説

荒川重平

没年:昭和8.12.25(1933)
生年:嘉永4(1851)
明治大正期の数学者,教育者。中川将行とは沼津兵学校で同期。ふたりはのちに海軍兵学寮に入学しようとしたが,入試時期を逸したため沼津兵学校教授であった赤松則良の口添えで明治4(1871)年兵学寮の教官となった。人材が払底していた時代で,このような事態も生じたのである。数学者としての荒川は中川と協調行動をとっており,東京数学会社内では数学の啓蒙活動に積極的であった。日本で初の横書きの数学書『幾何問題解式』(1879)は中川との共著。ほかにも多くの教科書を著し,海軍の数学教育に貢献。

(佐藤賢一)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「荒川重平」の解説

荒川重平 あらかわ-じゅうへい

1851-1933 明治-昭和時代前期の数学者,教育者。
嘉永(かえい)4年生まれ。明治4年海軍兵学寮の教官となる。東京数学会社の会員として,訳語の統一や洋算普及に尽力。12年日本最初の横書きの数学書「幾何問題解式」を中川将行(まさゆき)と共訳で出版した。昭和8年12月25日死去。83歳。沼津兵学校卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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