改訂新版 世界大百科事典 「東京数学会社」の意味・わかりやすい解説
東京数学会社 (とうきょうすうがくかいしゃ)
日本で最初に設立された学会で,日本数学会の前身。1877年9月,神田孝平(たかひら)の提案により日本中の数学者が一堂に会して発足した学会である。初代の総代は神田孝平と柳楢悦(ならよし)で,後に岡本則録(のりふみ)が社長となる。77年11月から機関誌《東京数学会社雑誌》を刊行する。第1号は横11cm,縦16.5cm,袋とじ36ページという小雑誌であったが,これが日本最初の学会誌である。第36号から大型の雑誌となる。79年9月発行の第9号には横書きの部分もあり,これが日本最初の数学の横書きである。1877年は開成学校が東京大学となった年で,1872年の学制の出発から5年たった年であった。神田は洋学者であって数学者ではなかったが,民主的な学会の組織および運営については,この雑誌の第1号の〈題言〉にくわしく述べられている。しかし,神田の呼びかけにより集まった人たちは,学会とは何であるか理解ができず,また,日本古来の数学を勉強しているいわゆる和算家のほうが,西洋の数学を勉強している洋算家より学力があったのである。そのために,初めは,難問を互いに出しあって解答を待つというのが雑誌の形態であった。大きな業績としては数学用語の統一に力があった。84年に,菊池大麓を中心として,この学会は東京数学物理学会に脱皮し,機関誌は,会員の研究と外国の著名な論文の翻訳を掲載するようになった。運営は東京大学の関係者によりなされ,しだいに今日の学会の形態に近づいていった。
執筆者:下平 和夫
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報