日本歴史地名大系 「荒張城跡」の解説 荒張城跡あらはりじようあと 京都府:舞鶴市川口地区岡田由里村荒張城跡[現在地名]舞鶴市字岡田由里岡田(おかだ)川と由良川の合流点近くの左岸山上にある。建武三年(一三三六)一二月、後醍醐天皇はひそかに吉野(よしの)に移って南北朝分裂の事態をむかえると、翌四年六月、足利直義は一族のうちから小俣来全を但馬・丹波・丹後に派遣した。吉川経久は彼の手に属して同年七月二六日には丹後加悦(かや)庄(現与謝郡加悦町)で、但馬・丹波・丹後三ヵ国の南朝方と合戦し戦功をあげた(建武四年七月二八日付「吉川経久軍忠状」吉川家文書)。次いで九月四日には丹後岡田庄内荒針(張)城を攻め戦功をあげたことが、同年九月一〇日付吉川経久軍忠状(同文書)に次のようにみえる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by