朝日日本歴史人物事典 「荒木田末寿」の解説
荒木田末寿
生年:明和1(1764)
江戸中期から後期の神道家,伊勢内宮祠官。伊勢度会郡の人。菊屋兵部末偶の第3子。益谷氏。玄蕃または大学と称し,桜屋,楽斎はその号。安永4(1775)年に内宮権禰宜となり,風日祈宮内人正六位に至った。寛政4(1792)年,父同様に本居宣長の門に入り,神祇の研究に専念した。しかし宣長の伊勢両宮に関する祭神説『伊勢二宮さき竹の弁』(1801板)を不服として,師の没後享和3(1803)年に反駁書『伊勢二宮割竹弁難』(1冊,写)を著し,離門。その間,父の和歌和文集『菊の家集』(3巻,1797完成,末寿自筆奉納本は神宮文庫所蔵)を編むなど,文芸に携わる一面もあったが,生涯の志は伊勢神宮の沿革と祭神の考究にあった。文政1(1818)年平田篤胤に入門。『内宮外宮弁略解』(1冊,写,1794奥書)など,多くの著書を残している。
(ロバート・キャンベル)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報