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荒木田末寿 あらきだ すえほぎ

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

荒木田末寿 あらきだ-すえほぎ

1764-1828 江戸時代中期-後期の国学者,神職。
明和元年生まれ。益谷家の養子。伊勢内宮権禰宜(ごんのねぎ)。寛政4年本居宣長(もとおり-のりなが)に入門したが,「伊勢二宮割竹弁難」をかいて師の説に反論。のち平田篤胤(あつたね)門下となる。神宮の故事,故実に精通し,「内宮外宮弁略解」などおおくの著作をのこした。文政11年8月16日死去。65歳。本姓は菊屋。通称は玄蕃,大学。号は桜屋翁。

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朝日日本歴史人物事典の解説

荒木田末寿

没年:文政11.8.16(1828.9.24)
生年:明和1(1764)
江戸中期から後期の神道家,伊勢内宮祠官。伊勢度会郡の人。菊屋兵部末偶の第3子。益谷氏。玄蕃または大学と称し,桜屋,楽斎はその号。安永4(1775)年に内宮権禰宜となり,風日祈宮内人正六位に至った。寛政4(1792)年,父同様に本居宣長の門に入り,神祇の研究に専念した。しかし宣長の伊勢両宮に関する祭神説『伊勢二宮さき竹の弁』(1801板)を不服として,師の没後享和3(1803)年に反駁書『伊勢二宮割竹弁難』(1冊,写)を著し,離門。その間,父の和歌和文集『菊の家集』(3巻,1797完成,末寿自筆奉納本は神宮文庫所蔵)を編むなど,文芸に携わる一面もあったが,生涯の志は伊勢神宮の沿革と祭神の考究にあった。文政1(1818)年平田篤胤に入門。『内宮外宮弁略解』(1冊,写,1794奥書)など,多くの著書を残している。

(ロバート・キャンベル)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典内の荒木田末寿の言及

【荒木田氏】より

…伊勢皇大神宮に禰宜(ねぎ)として奉仕した神主家。中臣氏と同系で大鹿島命の孫天見通命(あまのみとおしのみこと)を祖とする。一族は度会郡大貫に本拠をもち,景行朝に大貫連,成務朝に荒木田神主の姓を賜ったと伝えられる。7世紀後半ごろの首麻呂のころから荒木田を脱し単に神主と称していたが,879年(元慶3)に子孫の訴えにより荒木田神主の本姓に復した。首麻呂の孫の代に,佐禰麻呂の系統を一門,田長の系統を二門とする2派にわかれ,本拠をそれぞれ度会郡小社曾根,田辺(おのおの現在の玉城町)に移した。…

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