荒砥城跡(読み)あらとじようあと

日本歴史地名大系 「荒砥城跡」の解説

荒砥城跡
あらとじようあと

[現在地名]白鷹町荒砥甲

最上川右岸の独立丘に位置し、石灘いしなだ城・八乙女やおとめ城とも称した。比高二〇メートルの丘陵上は三段の平地で、下方は館回りの平場となっている。永長年中(一〇九六―九七)荒川次郎泰清が築城、元中年間(一三八四―九二)馬場将監が堀をめぐらすなどの整備を行い、戦国期、伊達氏麾下の桑島上野守、荒砥三郎、大立目氏三代の居城であったと伝える。永正六年(一五〇九)八月一一日の国分胤重軍勢催促廻文(写、奥羽編年史料所収文書)出陣を求められた諸将のなかに桑島上野介の名がみえる。伊達氏天文の乱では、荒砥城主は稙宗方であったと思われるが(伊達正統世次考)、乱後の晴宗公采地下賜録で荒砥三郎は本領を安堵されている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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