朝日日本歴史人物事典 「荷田蒼生子」の解説
荷田蒼生子
生年:享保7(1722)
江戸中期の歌人。別名ふり。荷田在満の妹。京に生まれたが兄に従って早くから江戸に出る。夫と死別後は在満に和歌・国学を学びつつ,独身で通した。紀州徳川家に仕え,奥方や姫君に和歌を教授。49歳で致仕後は浅草に住み,諸侯で蒼生子の添削指導を請う者が多かった。土佐・姫路・岡各藩藩主およびその夫人が中でも熱心だったという。賀茂真淵の指導を仰ぎ,家集『杉のしづ枝』を残す。平沢旭山撰文の墓碑が蒼生子の伝記の基礎資料として貴重。<参考文献>紅林健治「荷田蒼生子と家集『杉の下枝』研究」(窪田空穂・松村英一編『徳川時代和歌の研究』)
(久保田啓一)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報