(白石良夫)
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江戸中期の国学者。氏は羽倉(はくら)、通称は斎宮(いつき)。京都の伏見稲荷(ふしみいなり)神社の神官である荷田信詮(のぶあき)の二男として生まれる。家督は弟の信名(のぶな)が長兄信友(のぶとも)の養子となって継ぎ、春満は学問に励んだ。荷田家には神道と歌学の伝統があり、彼は荷田家の学問の宣伝と興隆とを目ざしていた。1697年(元禄10)に妙法院宮に出仕したが、2年後には致仕して江戸に出、幕府から古書籍の調査鑑定や注釈などを依頼されるようになり、学者としての名声を得た。1723年(享保8)6月に京都へ戻り、その後元文(げんぶん)元年7月2日、68歳で病死するまで、伏見の地で古典研究に従事した。甥(おい)の在満(ありまろ)を養子とし、江戸での荷田学の宣伝活動にあたらせた。
春満の学問は、古語の研究によって、古義を明らかにするという立場であった。国学の学校を創設したい熱意を表した『創学校啓文』は、春満晩年のものと推察される。賀茂真淵(かもまぶち)は晩年の春満の弟子である。春満は病弱でもあったが、きわめて禁欲的道徳主義で、生涯恋の歌を詠まなかったという逸話がある。賀茂真淵、本居宣長(もとおりのりなが)とともに「国学の三大人(うし)」と数えたのは平田篤胤(あつたね)である。著書に『万葉集童蒙抄(どうもうしょう)』『伊勢(いせ)物語童子問』など。墓所は京都市伏見区深草墓園にある。
[萱沼紀子]
『大久保正著『江戸時代の国学』(1963・至文堂)』
江戸中期の国学者。伏見稲荷神社祠官荷田(羽倉)信詮(のぶあき)の子。幼名鶴丸,のち信盛と改め,また東麿,東丸,春満と改める。通称斎宮(いつき),略して斎ともいう。29歳のとき妙法院宮に歌道の師として仕える。のち江戸に学び幕府にも出仕した。神道,古典,有職故実の研究を中心に多方面に業績をあげる。その研究方法にはいまだ中世的弊風が抜け切らない面があるが,《古事記》《万葉集》《日本書紀》研究の基礎を築いた功績は大きい。1702年(元禄15)の赤穂浪士の討入りに際しては,側面から助力したと言われる。晩年,京都東山の地に国学校を創建すべく《創学校啓》を認(したた)め,幕府に上請したが実現しなかった。しかし,その文面には彼の国学者としての精神が横溢し,その業績とともに後世国学の初祖と仰がれた。賀茂真淵は彼の門から出ている。著書に《古事記劄記》《万葉集僻案抄》《日本紀神代巻劄記》《令義解劄記》《古今和歌集劄記》《伊勢物語童子問》,歌集《春葉集》など多数がある。そのおもなものは《荷田全集》全7巻に収められている。
執筆者:南 啓治
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1669~1736.7.2
江戸前・中期の国学者。羽倉氏。通称は斎(いつき),初名は信盛のち東丸。山城国の伏見稲荷の社家で御殿預職の羽倉信詮(のぶあき)の次男。母は細川忠興の臣深尾氏の女貝子。若くして妙法院宮尭延(ぎょうえん)入道親王に仕え,和歌を進講して信頼をえる。1700年(元禄13)江戸へ下り,後陽成(ごようぜい)天皇直伝の歌学を標榜しつつ古典学を教授して評判となり,その影響は神職層に浸透した。23年(享保8)将軍徳川吉宗から有職(ゆうそく)に関する下問をうけ,評価が著しく高まった。著述は,業なかばで倒れたため未定稿が多いが,「古事記箚記(さっき)」「万葉集僻案(へきあん)抄」「伊勢物語童子問」などの注釈のほか,家集「春葉集」,和学専門の学校設立を幕府に請願した「創学校啓」がある。
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…32年実父政信が没したのち,梅谷家を出て学問の道にすすむ。真淵は11歳より,荷田春満(かだのあずままろ)の門人杉浦国頭(くにあきら)について手習いをはじめる。22年に春満は江戸下向の途中,杉浦家に滞在,このとき真淵は春満に会っているはずである。…
…こうした日本古典学は,まだそれだけでは国学であるとはいえない。契沖に深く傾倒した伏見の神官荷田春満(かだのあずままろ)は,その万葉研究を受けつぐ一方,《創学校啓》(1728成立)の中で,〈古語通ぜざれば古義明らかならず,古義明らかならざれば古学復せず〉といっているように,契沖の文献学的方法に加えるに独自の復古主義をもってした。この立場は,晩年の春満に師事し,主として宝暦年間(1751‐64)に活躍した賀茂真淵(かものまぶち)にいたって,国学としての最初の体系化がこころみられることになる。…
※「荷田春満」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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