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荷田在満 かだの ありまろ

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美術人名辞典の解説

荷田在満

国学者。名は有満、通称大学・東之進、号は仁良斎。荷田春満の甥で養嗣子。京都生、江戸住。博学で、特に律令職制に精通した。田安宗武に仕える。その門弟は一千を数えた。寛延4年(1751)歿、46才。

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デジタル大辞泉の解説

かだ‐の‐ありまろ【荷田在満】

[1706~1751]江戸中期の国学者。春満(あずままろ)の甥(おい)でその養子。春満の有職故実(ゆうそくこじつ)の研究を受け継ぎ、田安宗武に仕え、歌学革新に努めた。著「国歌八論」など。

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百科事典マイペディアの解説

荷田在満【かだのありまろ】

江戸中期の国学者。羽倉氏。字は持之。号は仁良斎。伏見の生れ。荷田春満(あずままろ)の甥で春満に学び養子となった。1728年江戸に下り田安宗武に仕え,1736年幕命を受けて《大嘗会儀式具釈》を著すが,その抄約本《大嘗会便蒙》を出版したことで百日閉門。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

荷田在満 かだの-ありまろ

1706-1751 江戸時代中期の国学者。
宝永3年生まれ。荷田春満の養子。幕府,ついで田安家につかえ,有職故実を研究。元文3年(1738)幕命で「大嘗会儀式具釈」を編集。翌年別に「大嘗会便蒙」を無断刊行してとがめられ,閉門となった。寛延4年8月4日死去。46歳。京都出身。字(あざな)は持之。通称は東之進。号は仁良斎,三峯。著作に「本朝度制略考」など。

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朝日日本歴史人物事典の解説

荷田在満

没年:宝暦1.8.4(1751.9.23)
生年:宝永3(1706)
江戸中期の国学者,有職故実家。本姓,羽倉氏。字,持之。通称は東(藤)之進。また長野大学とも称した。号は仁良斎,三峯。父は伏見(京都市伏見区)の医師多賀高惟,妹に女流歌人として著名な荷田蒼生子がいる。伯父は伏見稲荷祠官荷田春満で,春満に子がなかったので,はやく春満の養子となって家職を継いだ。享保13(1728)年23歳のとき,春満の意(国学校創設のことといわれる)を受けて江戸に下り,幕府に仕え,主として有職故実の調査に従事した。やがて田安宗武に仕えるようになり,宗武の命を受けて有職,律令研究の書『本朝度制略考』『令三弁』『羽倉考』などの著述をなした。元文3(1738)年の桜町天皇の大嘗会再興に際して幕府から内命を受けて上京,朝廷有司の間に往来してその規式を質し,『大嘗会儀式具釈』9巻にまとめて幕府に報告した。翌年,門人に求められてそれを抄録,『大嘗会便蒙』2巻として出版したため,朝廷から不審をいい立てられ,幕府から100日の閉門を命じられた。寛保2(1742)年,宗武の命を受けて執筆した『国歌八論』は,和歌を実用的なものとせず詞花言葉をもてあそぶものであるとする主張が画期的であった。しかし歌を治道の具,教誡の助とみなす宗武の見解と対立し,賀茂真淵を加えた3者の間で論争が起こった(国歌八論論争)。延享3(1746)年,真淵を後任に推して田安家を退いた。理由は,閉門事件の後遺症であるとか宗武との確執であるとか,また在満の健康状態であるとか,さまざまにいわれているが,詳細は不明である。在満の学問上の功績は,有職,律令研究において科学的研究方法をもってしたことにあり,『国歌八論』における分析もその応用であった。著作にはほかに『白猿物語』『落合物語』といった擬古物語もある。<参考文献>宇佐美喜三八『近世歌論の研究』

(白石良夫)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典 第2版の解説

かだのありまろ【荷田在満】

1706‐51(宝永3‐宝暦1)
江戸中期の国学者。字は持之,通称長野大学,号は仁良斎,三峰。荷田春満(あずままろ)の弟高惟の子。春満の養子となる。歌学,有職故実をもって田安宗武に仕える。《大嘗会儀式具釈》《大嘗会便蒙》を著し,後者を公にしたため幕府の忌諱にふれる。またその著《国歌八論》をめぐる論争で主宗武と合わずついに致仕。代りに賀茂真淵を推挙した。著書はほかに《羽倉考》《本朝度制略考》《令三弁》など。【南 啓治】

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大辞林 第三版の解説

かだのありまろ【荷田在満】

1706~1751) 江戸中期の国学者。春満あずままろの甥、のち養子。姓は羽倉とも。有職故実の研究を春満より継ぎ、また、田安宗武に仕えた。その著「国歌八論」は、近世歌学革新に重要な役割を果たす。著「大嘗会儀式具釈」「羽倉考」など。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

荷田在満
かだのありまろ

[生]宝永3(1706)
[没]寛延4(1751).8.2.
江戸時代中期の国学者。羽倉姓をも名のる。字は持之,号は東之進,仁良斎,三峰。荷田春満 (あずままろ) の甥で,その養子。享保8 (1723) 年春満とともに伏見から京都に出,江戸幕府に仕え,有職故実の調査に従事した。

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世界大百科事典内の荷田在満の言及

【歌論】より

…真淵の《歌意考》,《にひまなび》は,歌論史上,特に重要である。 一方,宗武に仕えた荷田在満(かだのありまろ),真淵に師事した本居宣長らは《新古今和歌集》を尊重し,その立場に立っての〈歌論〉を展開した。在満の《国歌八論》,宣長の《排蘆小船(あしわけおぶね)》,《石上私淑言(いそのかみのささめごと)》等がそれである。…

【国歌八論】より

…1巻。荷田在満(かだのありまろ)著。1742年(寛保2)に田安宗武の要請により書かれたもので,在満の和歌観が率直にのべられている。…

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