荻村・中荻村・下荻村(読み)おぎむら・なかおぎむら・しもおぎむら

日本歴史地名大系 「荻村・中荻村・下荻村」の解説

荻村・中荻村・下荻村
おぎむら・なかおぎむら・しもおぎむら

[現在地名]村大字おおぎ

はり別所べつしよ村北方に位置する。応永六年(一三九九)の興福寺造営段米田数帳(春日神社文書)に「中荻庄 二町五反」とみえる。慶長郷帳では荻村、村高三三五・二二石、旗本筒井正次領。元和元年(一六一五)以降幕府領(代官間宮三郎右衛門)、同五年津藩(藤堂高虎)領となる。寛永一六年(一六三九)以降に三ヵ村に分れたと考えられ、「藤影記」によれば、貞享二年(一六八五)段階で荻村一一五・九二石、中荻村一〇六・二二石、下荻村一一三・八石となっている。元禄郷帳には右の三村名がみえ、中荻・下荻両村の項にそれぞれ「荻村之枝郷」と注記がある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

4月1日の午前中に、罪のないうそをついて人をかついでも許されるという風習。また、4月1日のこと。あるいは、かつがれた人のこと。四月ばか。万愚節。《季 春》[補説]西洋もしくはインドに始まる風習で、日本...

エープリルフールの用語解説を読む