朝日日本歴史人物事典 「荻生北渓」の解説
荻生北渓
生年:寛文10(1670)
江戸中期の幕臣,儒者。上野(群馬県)館林の城主でのちに5代将軍職を継ぐ徳川綱吉の侍医荻生方庵の末子として江戸に生まれる。荻生徂徠の弟。名は観,通称を惣七郎,北渓は号。また物叔達とも称した。宝永1(1704)年家督を相続し,本丸寄り合いの儒者に列する。一時近習番に移るが,儒者に復する。綱吉,吉宗に重用された。彼の業績は兄徂徠の名声と多くの著述の陰に隠れてさほど知られていないが,幕命を受けて『明律国字解』を選したり,『唐律疏義』や『七経孟子考文』の校訂や訓点を加えるなどの地味な骨の折れる仕事に携わった。<参考文献>堀部寿雄『荻生徂徠 その父と兄弟』
(小島康敬)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報