日本歴史地名大系 「菅井庄」の解説
菅井庄
すがいのしよう
近世の菅井村を荘域とする南都興福寺(春日神社)領。立荘および興福寺領となった経緯は不明。
「経覚私要鈔」宝徳二年(一四五〇)三月七日条に「
とみえる。また同年五月一六日条には「就菅井庄事、就飯尾下総守歎申入了、仍目安一紙京都ニ上了」として、次の言上状が記される。
その後も興福寺への返還はかなえられず、同書長禄四年正月一八日条に「菅井庄代官事、加茂中村光宣所望之云々、不可叶旨仰返事、当庄事宝徳年中ヨリ、称代官畠山徳本入道押領之、其以後于今無本
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報