日本大百科全書(ニッポニカ) 「菅生事件」の意味・わかりやすい解説
菅生事件
すごうじけん
1952年(昭和27)6月2日未明、大分県菅生村(現竹田市)の駐在所でダイナマイトが爆発した事件。警察は日本共産党による武力闘争の一環として後藤秀生ほか5名の共産党員を逮捕し、起訴した。戸数350という寒村に100余名の警官と数名の新聞記者が待機する前での爆破事件であった。55年、大分地方裁判所は有罪の判決を下したが、被告らは、事件はでっち上げであり、「市木春秋」なる人物が真犯人であると主張、控訴した。控訴審中の57年、共同通信社特捜班が、東京に潜んでいる市木こと戸高公徳をつきとめた。戸高の証言により、事件当時、戸高は国家地方警察大分県本部警備課に配属され、共産党の活動の実態を探知していた警察官であり、ダイナマイトを入手し、駐在所に運んだのも戸高であることが明らかになった。このため、58年の二審判決(福岡高裁)で、駐在所爆破について後藤らは無罪となり、60年12月検察側上告も棄却された。他方、戸高も59年、刑の免除を受け、警察当局に対する疑惑が残された。戸高はのちに警察大学校特別捜査幹部研修所教授などの要職につき、警視長に栄進、85年退職した。
[小田部雄次]
『上田誠吉・後藤昌次郎著『誤まった裁判――八つの刑事事件』(岩波新書)』▽『田中二郎・佐藤功・野村二郎編『戦後政治裁判史録2』(1980・第一法規出版)』