菊塚千楽(読み)キクヅカ チガク

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「菊塚千楽」の解説

菊塚 千楽
キクヅカ チガク


職業
地歌箏曲

本名
菊塚 喜一

別名
初名=香雨

生年月日
明治36年 5月15日

出生地
京都

学歴
京都盲学校音楽専修科〔大正3年〕卒

経歴
5歳の時失明、11歳で初代菊塚検校門下の菊浜検校に入門、盲学校を出た大正3年、2代目菊塚捨次郎の内弟子となって大阪に移った。10年師の没後独立、11年香路会を結成、同年12月3代目菊塚を襲名し、私立天王寺盲学校教諭となった。昭和2年辞任して春秋会を組織、8年千楽と改名、日本当道音楽会本部長、日本当道音楽学校理事を務めた。18年社団法人日本当道音楽道場を設立、27年同会を脱退、日本当道会を設立し理事長。29年以後日本箏曲連盟、大阪三曲協会、日本盲人会連合などの役員歴任。35年社中職格者の千楽会を結成。

受賞
紺綬褒章〔昭和48年〕

没年月日
昭和53年 8月17日 (1978年)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

20世紀日本人名事典 「菊塚千楽」の解説

菊塚 千楽
キクヅカ チガク

大正・昭和期の地唄箏曲家



生年
明治36(1903)年5月15日

没年
昭和53(1978)年8月17日

出生地
京都

本名
菊塚 喜一

別名
初名=香雨

学歴〔年〕
京都盲学校音楽専修科〔大正3年〕卒

主な受賞名〔年〕
紺綬褒章〔昭和48年〕

経歴
5歳の時失明、11歳で1代目菊塚検校門下の菊浜検校に入門、盲学校を出た大正3年、2代目菊塚捨次郎の内弟子となって大阪に移った。10年師の没後独立、11年香路会を結成、同年12月3代目菊塚を襲名し、私立天王寺盲学校教諭となった。昭和2年辞任して春秋会を組織、8年千楽と改名、日本当道音楽会本部長、日本当道音楽学校理事を務めた。18年社団法人日本当道音楽道場を設立、27年同会を脱退、日本当道会を設立し理事長。29年以後日本箏曲連盟、大阪三曲協会、日本盲人会連合などの役員を歴任。35年社中職格者の千楽会を結成。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「菊塚千楽」の解説

菊塚千楽 きくづか-ちがく

1903-1978 大正-昭和時代の地歌・箏曲(そうきょく)家。
明治36年5月15日生まれ。5歳で失明。2代菊塚捨次郎について生田流箏曲をおさめ,大正11年3代菊塚を襲名。昭和2年から春秋会を主宰。27年日本当道会を設立した。昭和53年8月17日死去。75歳。京都出身。本名は喜一。前号は香雨。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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