菊川村(読み)きくがわむら

日本歴史地名大系 「菊川村」の解説

菊川村
きくがわむら

[現在地名]金谷町菊川

牧野原まきのはら村の西に位置し、菊川の上流域に立地する。西は佐野さや小夜中山さよのなかやま(現掛川市)中世から東海道宿駅として栄え、江戸時代には金谷宿日坂につさか宿(現掛川市)の間の宿であった。天正一八年(一五九〇)一〇月七日の山内一豊蔵入所目録に菊川とみえ、高一五三石一俵七升。文禄二年検地高目録では高一四九石余。


菊川村
きくかわむら

[現在地名]木造町菊川

田圃を隔てて北に千代田ちよだ村、東に岡部おかべ村、東南平野ひらの村、西に吉見よしみ村。

享保一二年(一七二七)木造新田に属し、山通三六ヵ村の一つで村位は下とある(平山日記)。元文元年(一七三六)検地帳によれば、田畑屋敷合せて八町四反一七歩、村高三八・七七七石とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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