菖蒲池町(読み)しようぶいけちよう

日本歴史地名大系 「菖蒲池町」の解説

菖蒲池町
しようぶいけちよう

[現在地名]八幡市八幡菖蒲池

じよううち町の南に位置し、南北に通る大道おおみちの東片側四〇間半の町並で、その対面西片側は山本やまもと町の町並。町名は、御馬所おうまどころの南からなみだ川にかけて菖蒲池があったと伝えられることによるという。

慶長五年指出帳(「石清水八幡宮史」所引)によれば、地子負担の家数は山本町と合わせて一四軒、八幡宮社士・神人らの居住は記録がない。

菖蒲池町
しようぶいけちよう

[現在地名]奈良市菖蒲池町

内侍原なしはら町の西、二条通に面し、「奈良曝」に「町役十一軒」とあり、「此町いにしへハ池ニて菖蒲あまた生しけるゆへに町の名とせり。竹田治部卿門の脇に小き堀あり。古の池の跡なり」と記し、現在もその名残という小池がある。「大乗院雑事記」文明八年(一四七六)五月四日条に菖蒲を菖蒲池から持参したという記事があり、池は尋尊が初度の興福寺別当職のとき南都七郷の人夫を召集して掘り、修理したという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報