萱原神田(読み)かやはらしんでん

日本歴史地名大系 「萱原神田」の解説

萱原神田
かやはらしんでん

現萱原にあった京都祇園社領。建久八年(一一九七)羽床はゆか郷内の萱の生茂った荒野一〇町が知行国主一条能保から祇園社執行玄有に分賜された。祇園社感神院はこの荒野を開発し萱原神田を成立させ、また新たに同神田近辺の荒野の開拓を進めて、建長八年(一二五六)三月日の国司庁宣(八坂神社文書)で東と北はすえ保、南は久美山嶺、西は滝宮たきのみや領を限る四至が定められ、永代の常灯用途神田として国司免判を得た。同地は萱原新神田とも、一括して萱原神田とも称した。建治二年(一二七六)一〇月一九日の讃岐国宣(青木鉄太郎氏所蔵文書)では、萱原新神田における在地の武士とみられる羽床郷司の違乱が知られる。当神田は嘉暦三年(一三二八)一一月四日と同四年二月四日の後醍醐天皇綸旨(八坂神社記録)によって祇園社執行静晴に安堵された。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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