萱原村(読み)かやはらむら

日本歴史地名大系 「萱原村」の解説

萱原村
かやはらむら

[現在地名]綾南町萱原

滝宮たきのみや村の東、きた村の北に位置し、あや川中流域の標高五〇―六〇メートルの平坦地に立地。北は北条ほうじよう池に接し、南東端に鞍掛くらかけ山がある。古代の阿野あや羽床はいか(和名抄)の比定地。中世には同郷内の萱原が京都祇園社によって開発され萱原神田が成立。一方、康永元年(一三四二)六月日の雑掌祐乗言上状案(善通寺文書)にみえる山城随心ずいしん院門跡領の善通寺領萱原村もあった。


萱原村
かやはらむら

[現在地名]三刀屋町三刀屋

三刀屋川右岸に位置し、東は三刀屋村、三刀屋川を挟んで北は尾崎おさき村。「和名抄」の草原かやはら郷の遺称地。草原郷は「出雲国風土記」にみえず、従来の三屋みとや郷から新しく独立した郷名であり、三刀屋文書の奥書にも「承久三年ヨリ明応九年迄雲州萱原郷之地頭職代々之譲状」とみえる。しかしその後文永八年(一二七一)一一月日の杵築大社三月会相撲舞頭役結番帳などにこの郷名はみえない。


萱原村
かやはらむら

[現在地名]多賀町萱原

樋田ひだ村の南にあり、犬上川を挟んで集落が延びる。川に沿ってさかのぼると愛知えち大萩おおはぎ(現愛東町)、同郡きみはた(現神崎郡永源寺町)に通じる。寛永石高帳に高一四四石余とある。元禄八年大洞弁天寄進帳によれば男一二二・女一〇三。


萱原村
かやはらむら

[現在地名]出雲市荒茅町あらかやちよう

高瀬たかせ川と新内藤しんないとう川に挟まれ、北は荒木あらき村。茅原とも記す。現在荒茅町の北部に通称茅原が残る。この地域の開発は慶長一八年(一六一三)神戸かんど川付替えおよび秦喜兵衛による茅原沼沢開田による効果が大きい。検地は寛文九年(一六六九)にあった。「雲陽大数録」では高六四〇石である。


萱原村
かやばるむら

[現在地名]荻町馬場ばば

正保郷帳では藤原ふじばる郷に属し、田方一三石余・畑方七八石余。旧高旧領取調帳村名がみえず、馬場村に含まれたのであろうか。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android