葉木村(読み)はぎむら

日本歴史地名大系 「葉木村」の解説

葉木村
はぎむら

[現在地名]泉村葉木

五箇庄ごかのしようのうちで最も北部に位置し、樅木もみき村とともに仁田尾にたお村の分村と考えられる。寛永一五年(一六三八)六月二三日の御奉行所日記抄出(永青文庫蔵)に「五ケ庄五人之内」として「萩村儀大夫」の名がみえる。五箇庄の中で仁田尾村樅木村・葉木村の左座家系といわれる村は小川おがわ町・砥用ともち(現下益城郡)宮原みやはら(現宮原町)といった在町との結び付きが早くからあったとみられ、それだけ集落内部の動揺が激しく、逃散者などを出している。貞享二年(一六八五)の五箇庄出入もこの地域で起き、享保一三年(一七二八)の葉木の左座主膳の事件も、宝暦四年(一七五四)の逃散もこの地域であった。


葉木村
はきむら

[現在地名]椎葉村大河内おおかわうち 臼杵俣うすきまた

臼杵俣村の南の山腹に位置する。大河内掛一六ヵ村の一つで、嶽枝尾組に属する。村内には小村として野地のじ村があった(延享三年「村覚」那須家文書)。日向国覚書に椎葉山之村形の一村として葉木とみえる。延享三年(一七四六)に検地竿入がなされ、畑一反余(高一斗余)が打出された(天明元年「椎葉山高反別取米一村限帳控」内藤家文書)。宝暦五年(一七五五)大河内村組焼畑見取御年貢米代銀上納帳(相良家文書)によれば「小中山」に焼畑二一枚・八反余があり、その年貢米一斗余・取銀一一匁余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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