日本歴史地名大系 「葉鹿村」の解説 葉鹿村はじかむら 栃木県:足利市葉鹿村[現在地名]足利市葉鹿町・葉鹿町一―二丁目北部は湯殿(ゆどの)山から下る二支脈の山地、南部は平地が開ける。南東部を松田(まつだ)川が南流し、南端を南東流する渡良瀬川に注ぐ。西は小俣(おまた)村。大宝三年(七〇三)のものと推定される藤原宮跡出土木簡に「下毛野国足利郡波自可里」とみえ、当村名の「はじか」は「和名抄」にみえる足利郡土師(はじ)郷の本来の名であったと考えられる。安永五年(一七七六)修復の鑁阿寺一切経会等記録(鑁阿寺文書)によると、正応五年(一二九二)七月七日の渡良瀬川大洪水の際、葉鹿・天前(大前か)・山下(やました)・伊与部(五十部)・今福(いまふく)・八幡(やわた)・借宿(かりやど)などの河原に大木が漂着し、鑁阿(ばんな)寺の修築に使用された。山下以下の地名は当村より下流の村々である。足利庄葉鹿郷は鑁阿寺の仏事用途を負担していたが、南北朝期には郷地頭による未進が知られ(康永三年一二月日「鑁阿寺雑掌申状案」鑁阿寺雑録)、六月八日の仏事銭二貫文・使料二〇〇文も負担していた(嘉吉二年六月八日「鑁阿寺仏事銭請取状案」鑁阿寺文書など)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by