葛西因是(読み)かさい・いんぜ

朝日日本歴史人物事典 「葛西因是」の解説

葛西因是

没年:文政6.4.6(1823.5.16)
生年明和1(1764)
江戸中・後期の儒学者,詩文家。名は質,字は休文,通称は健蔵,因是道人と号す。大坂に生まれ,江戸に長じる。平沢旭山や林家に学んで儒として立ち,膳所浜田大名から優遇された。人となり世を睥睨したような狷介さ,弁舌の巧みさは学にも顕れ,新説奇説に富む。自ら好んだ老荘思想を孔子,孟子と揆一に考え「字句にとらわれた後世の学者ほど真意を解さざるゆえに老荘を異端と称するのだ」と喝破し,『老子輻註』『荘子神解』などを著した。『大学弁錦』『中庸弁錦』も流布する。その一種風格を存した漢文が喜ばれたが,詩論においても宋詩風を尊奉することの多い朱子学者の中にあって唐詩格調詩に理解を示すといった柔軟性があった。

(宮崎修多)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「葛西因是」の解説

葛西因是 かさい-いんぜ

1764-1823 江戸時代後期の儒者
明和元年生まれ。江戸で平沢旭山(きょくざん)にまなぶ。ついで林家の門にはいり,昌平黌(しょうへいこう)でまなぶ。のち近江(おうみ)膳所(ぜぜ)・石見(いわみ)浜田の両藩にまねかれる。詩文にすぐれ,その著作は梁川(やながわ)星巌に影響をあたえた。文政6年4月9日死去。60歳。大坂出身。名は質。字(あざな)は休文。通称は健蔵。著作に「通俗唐詩解」など。

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