蒔田定正(読み)まいた さだまさ

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「蒔田定正」の解説

蒔田定正 まいた-さだまさ

1591-1641* 江戸時代前期の大名
天正(てんしょう)19年生まれ。備中(びっちゅう)(岡山県)浅尾藩主蒔田広定(ひろさだ)の長男。父とともに大坂の陣に従軍。寛永13年家督をつぎ,弟長広(ながひろ)に3000石を分与し,8310石の旗本となる。因幡(いなば)鳥取藩国目付をつとめた。寛永17年12月29日死去。50歳。初名は成定(なりさだ)。通称久太郎

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

ローマ法王ともいう。ラテン語 Papaの称号はカトリック教会首長としてのローマ司教 (教皇) 以外の司教らにも適用されていたが,1073年以後教皇専用となった。使徒ペテロの後継者としてキリスト自身の定...

教皇の用語解説を読む