蒲生忠郷(読み)がもう たださと

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「蒲生忠郷」の解説

蒲生忠郷 がもう-たださと

1603-1627 江戸時代前期の大名
慶長8年生まれ。蒲生秀行長男。母は徳川家康の3女振姫。慶長17年10歳で陸奥(むつ)会津(あいづ)藩(福島県)藩主となる。若年のため家中を統率できないまま,寛永4年1月4日25歳で死去跡継ぎがなく,会津60万石は幕府に没収された。かわりに弟の忠知に伊予松山20万石と近江(おうみ)(滋賀県)日野4万石の合計24万石があたえられた。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

貨幣 (名目) 賃金額を消費者物価指数でデフレートしたもので,基準時に比較した賃金の購買力を計測するために用いられる。こうしたとらえ方は,名目賃金の上昇が物価の上昇によって実質的には減価させられている...

実質賃金の用語解説を読む