日本歴史地名大系 「蒲田江城跡」の解説 蒲田江城跡かまたえじようあと 佐賀県:佐賀市蒲田郷蒲田江村蒲田江城跡[現在地名]佐賀市蓮池町大字小松字蒲田津「九州治乱記」によれば、正平一五年(一三六〇)南朝方の武将菊池武安が蒲田江に築城したという。また犬塚家系譜によれば、明応年代(一四九二―一五〇一)に筑後より崎村(さきむら)城(現神埼郡千代田町)に入城した犬塚家貞の次男家重が蒲田江城主となる。崎村城の犬塚氏を東犬塚と称したのに対し、蒲田江城の犬塚氏を西犬塚と称する。犬塚氏の蒲田江城は菊池武安の旧城に築かれたと推測される。永禄一二年(一五六九)大友宗麟が竜造寺氏を攻めた時、東犬塚の鎮直は竜造寺氏に味方し、西犬塚の尚重は大友氏に荷担した。この戦闘で東西犬塚とも同時に主君を失った。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by