日本大百科全書(ニッポニカ) 「蔚山の戦い」の意味・わかりやすい解説 蔚山の戦いうるさんのたたかい 慶長(けいちょう)の役(豊臣(とよとみ)秀吉の第二次朝鮮侵略)の一戦闘。1597年(慶長2)12月22日から翌年正月4日、朝鮮慶尚道蔚山城の加藤清正(きよまさ)、浅野幸長(よしなが)ら籠城(ろうじょう)軍は、優勢な明(みん)・朝鮮連合軍に攻められ、苦戦のすえこれを撃退した。[編集部][参照項目] | 文禄・慶長の役 出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例 Sponserd by
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「蔚山の戦い」の意味・わかりやすい解説 蔚山の戦いウルサンのたたかい 慶長の役 (→文禄・慶長の役 ) で,加藤清正,浅野幸長らが兵2万余をもって朝鮮,慶尚南道の蔚山で戦った籠城戦。清正らは慶長2年 12月 20日来襲した明将楊鎬,麻貴の率いる明鮮連合軍約6万の兵に対し,翌年1月4日まで苦しい戦闘を展開し,ようやく,毛利秀元,黒田長政らの来援によってこれを撃退し,以後日本軍は本拠をここに移した。 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報 Sponserd by
旺文社日本史事典 三訂版 「蔚山の戦い」の解説 蔚山の戦いうるさんのたたかい 1597(慶長2)年12月から翌年1月にかけて,朝鮮慶尚道の蔚山城で行われた籠城戦慶長の役で朝鮮に再征した日本軍は,明・朝鮮軍の反撃にあい蔚山城に籠城。加藤清正・浅野幸長 (よしなが) らは飢寒にたえ苦戦の末,ようやくこれを撃退した。 出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報 Sponserd by