蔵岡村(読み)くらおかむら

日本歴史地名大系 「蔵岡村」の解説

蔵岡村
くらおかむら

[現在地名]戸沢村蔵岡

真柄(まがら)村の東、西流する最上川流域に位置し、南岸に主集落の蔵岡や角間沢(つのまざわ)、北岸に岩花(いわばな)(岩鼻)・出舟(でふね)の集落がある(新田本村鑑など)。北東は津谷(つや)村。新田本村鑑に「最上川通舟の継所なり」とあるように交通の要衝で、岩花・出舟には新庄藩の蔵宿が置かれた。元和八年(一六二二)の御前帳写では高三五五石余、寛文四年(一六六四)には高八九九石余、うち改出一七石余・津谷村新田五二六石余、元禄一三年(一七〇〇)には高四三四石余、ほかに津谷村分高一九九石余・岩清水(いわしみず)村分高二六六石余(新田本村鑑)。


蔵岡村
くらおかむら

[現在地名]新潟市蔵岡

細山(ほそやま)村の南、阿賀野川左岸に沿い、南は小杉(こすぎ)村(現中蒲原郡横越村)。元亀―天正年間(一五七〇―九二)の開発と伝える。新発田藩の慶長一七年(一六一二)の御蔵納同払方帳(新発田市史資料)に村名がみえ、九石九斗二升。寛永一六年(一六三九)の横越島絵図(青木正昭氏蔵)には「蔵之岡村」と記される。正保国絵図では高六〇石余。寛文七年(一六六七)と推定される御領内見分之書付(貴船家文書)によると一一軒・一一〇人。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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