戸沢村(読み)とざわむら

日本歴史地名大系 「戸沢村」の解説

戸沢村
とざわむら

面積:二六一・五三平方キロ

郡の西部に位置し、北は鮭川さけがわ村、東は新庄市大蔵おおくら村、南は同村および東田川郡立川たちかわ町、西は立川町、飽海あくみ松山まつやま町・平田ひらた町に接する。出羽山地の東麓にあたり、村域の約八〇パーセントを山林が占める。村の中央やや北寄りを最上川が西流し、同川は村の東端で蛇行しながら南流する鮭川を右岸に、中央部で高倉たかくら(一〇五三・八メートル)火打ひうち(一〇三三メートル)板敷いたじき(六二九・六メートル)などを水源とする小河川を集めるつの川を左岸に合せ、先行谷を形成しながら出羽山地を横断、庄内平野へ抜ける。


戸沢村
とさわむら

[現在地名]伊豆長岡町戸沢

狩野かの川支流の長瀬ながせ川に沿った谷間の集落。南は長瀬村、西は静浦しずうら山地を越えて三津みと(現沼津市)へ通じる。近世初期は韮山にらやま(現韮山町)の城主内藤氏の支配で、天正一八年(一五九〇)検地が行われた。翌一九年一月に出された年貢目録(小川家文書)には「渡沢之郷天野村」とある。文禄三年(一五九四)に代官頭彦坂小刑部元正によって検地が行われ、延宝五年(一六七七)の「伊豆鏡」では高八一石余、元禄初年高帳によると新田高一石余。


戸沢村
とざわむら

[現在地名]都留市戸沢

玉川たまがわ村の東にある山間の村。戸沢山を水源とする戸沢川が村内を西流する。文禄―慶長期(一五九二―一六一五)のものと推定される四郡高〆控に村名はみえず、「甲斐国志」によれば古くは朝日あさひ村の一部で、寛文九年(一六六九)の検地のときに独立村になったという。同検地での高八七石余、田二一石余・二町一反余、畑六六石余・一一町四反余(「検地帳」志村英仁家文書)、ほかに山畑四町二反余・柴山四町三反余があった(「山畑柴山帳」同文書)


戸沢村
とざわむら

[現在地名]温海町戸沢

五十いら川に大早田おおわさだ川・荒沢あらさわ川・戸沢川が合流する地点の山間に位置し、東は菅野代すがのだい村。元和八年(一六二二)の酒井氏知行目録では高二〇二石余。寛永三年庄内高辻帳では高二〇六石余。正保郷帳の田方一九一石余・畑方一二石余。弍郡詳記では免七ツ七分、家数五九。天保一三年(一八四二)の温海組小商体之者書上帳(温海文書)によると、塩噌受商・蝋燭鬢付油受商の二人が焼印札(許可証)を願出ている。山間集落として製炭量が多く、弘化三年(一八四六)つるおか城内で使用する御用炭の上納が田川組と当村に命じられたが、その割当量は田川組全村で六九〇俵であったのに対し、当村一村で一〇八俵であった(田川村史)


戸沢村
とざわむら

[現在地名]五所川原市戸沢

大釈迦だいしやか丘陵西端に位置し、東は石田坂いしたざか村、西は飯詰いいづめ村、北は朝日沢あさひざわ村に接する。

正保二年(一六四五)の津軽知行高之帳の田舎いなか郡の新田に戸沢村一〇〇石とある。貞享元年(一六八四)の郷村帳に新田として四四七・六石とある。同四年の検地帳は田方三五町九反二畝二二歩・畑方四町四反六畝一歩、田畑屋敷合せて四〇町三反八畝二三歩、村高三二二・二八三石、漆木二本と記す。元禄三年(一六九〇)には飯詰組に属し、村位は下で、家数一六、うち庄屋一・百姓一一・水呑四であった(平山日記)


戸沢村
とざわむら

[現在地名]安塚町戸沢

北流する小黒おぐろ川左岸、標高約三〇〇メートル付近の東斜面に位置。北は大原おおはら村、東へ下れば円平坊えんだらぼう村、西は切越きりこし村。文禄(一五九二―九六)頃の頸城郡絵図では「戸沢孫八郎分戸沢村 下」とあり、本納三石・縄高三石一斗五升八合三勺、家二軒・七人。正保国絵図では高三二石余。天和三年郷帳では高三〇石三斗余、うち山高一石九斗六升一合・漆高二斗四升、反別田一町一反余・畑屋敷二町四反余・山林一七町、漆木二四本、家数六。


戸沢村
とざわむら

[現在地名]川内町川内 戸沢

戸沢川の河口に位置し、陸奥湾に面する。海浜沿いに東は角違すみちがい(現むつ市)、西は田野沢たのさわ村に接する。天和二年(一六八二)の惣御代官所中高村付に村名がみえる。寛政年間(一七八九―一八〇一)の「邦内郷村志」に川内村のうちとして高一三・七石余とあるが、家数は城ヶ沢じょうがさわ(現むつ市)の項に記され、一八とある。


戸沢村
とざわむら

[現在地名]西木町上檜木内 戸沢

檜木内ひのきない川の最上流にあり、上檜木内かみひのきない村の支郷。

中世、この周辺を支配した戸沢氏と関連があるともいわれ、戸沢家譜によれば建永元年(一二〇六)戸沢兼盛の代に「羽州鳳仙台之館従夫移、同郡門屋庄小館以後本堂城主和賀御所親朝為之幕下、承久二康辰七月従小館移門屋、安貞二戊子同所築城郭」とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「戸沢村」の意味・わかりやすい解説

戸沢〔村〕
とざわ

山形県北部,出羽丘陵東麓にある村。新庄市の西に位置し,中央部を最上川が鮭川,角 (つの) 川と合流し,東から西へ貫流する。 1955年古口村角川村と合体し,古口村となったが,同年現町名に名称変更。最上川流域の米作を中心に,山間部では畜産が行われている。最上川に沿って,JR陸羽西線,国道 47号線が通り,沿道に草薙温泉がある。最上川流域一帯は,最上川県立自然公園に指定されている。面積 261.31km2(境界未定)。人口 4199(2020)。

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