日本歴史地名大系 「藤原俊成邸跡」の解説 藤原俊成邸跡ふじわらのしゆんぜいていあと 京都市:下京区開智学区桝屋町藤原俊成邸跡歌人藤原俊成の邸宅については、その嫡男定家の「明月記」中にも「参五条」という記載しかないため、正確な場所は決定しがたい。しかし「山槐記」治承四年(一一八〇)二月一四日条に「火起高辻北、万里小路西失火云々、北至于綾小路東指巽、出京極南、至于五条北、(中略)右京大夫入道俊成家、左少将実教朝臣宅焼亡云々」とあることや、長門本「平家物語」に都落ちする平忠度が、ひき返して俊成に自作の歌を託すところを、「皇太后宮大夫俊成卿勅を奉し、千載集を撰れけり、忠度乗かへ四五騎かほど相具して、四塚の辺より帰りて、彼俊成卿の五条京極の宿所の前にひかへて」と記されることから、ほぼ五条京極の北に存在したことが推定できる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by