勅撰和歌集のために設けられた撰集所。《古今和歌集》(905)撰進のときは内御書所をあてたが名はなく,正式には《後撰和歌集》(951)撰進のときに昭陽舎(梨壺(なしつぼ))に撰和歌所の置かれたのが最初。1201年(建仁1)に院御所に設けられた和歌所は《新古今和歌集》の撰定にあたった。その後臨時に設置されたこともあるが,勅撰和歌集の撰集が途絶えて後は中断し,1888年(明治21)に宮内省に御歌所が置かれるに至った。
→歌会始
執筆者:藤岡 忠美
和歌所の職員は寄人(よりうど),また召人(めしうど)とよばれた。《後撰集》の撰者5人は〈梨壺の五人〉として著名だが,1201年7月,後鳥羽院の院宣によって開設された和歌所には,源家長を開闔(かいこう)(書物の出納・管理等にあたる職)として,当代の有力歌人の藤原良経,源通親,藤原俊成ら14人が寄人に任命された。同年11月にはこの寄人の中から,源通具,藤原定家ら6人が《新古今集》の撰者となっている。近代になって宮内省に設置された御歌所には,長,参候とともに寄人の職が置かれた。新年御歌会始めの詠進歌の選,月次会御会の執行などがおもな任務であった。1946年の御歌所の廃止までに井上通泰,佐佐木信綱,金子元臣ら約20人が寄人となった。
執筆者:竹下 豊
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勅撰(ちょくせん)集の編集にあたって宮中に設けられる臨時の部署。『古今和歌集』のときの承香殿(しょうきょうでん)は別に名づけられなかったが、951年(天暦5)昭陽舎(しょうようしゃ)(梨壺(なしつぼ))に和歌所を置き、源順(したごう)ら5人に命じて『万葉集』の訓読(古点)、『後撰和歌集』の編集を行わせたのが始まり。撰者1人のときは置かれなかったが、1201年(建仁1)『新古今和歌集』編集のため二条殿に置かれ、その後は複数撰者のときに置かれ、別当、開闔(かいこう)、寄人(よりゅうど)などが任ぜられた。鎌倉中期以降は、二条家が和歌師範家として公的に認められ、家に和歌所を常置したものと思われ、勅撰撰者に下命された場合は、そのための和歌所が併置された。
[橋本不美男]
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勅撰和歌集編纂のために設置された臨時の役所。「古今集」を編纂するときは内御書所(うちのごしょどころ)を撰集所にあてたが,和歌所の名はない。951年(天暦5)の「後撰集」編纂の際,昭陽舎(しょうようしゃ)(梨壺)においたのが最初。「新古今集」の撰進にあたった和歌所は,1201年(建仁元)に院御所におかれた。職員には別当・開闔(かいこう)・寄人(よりうど)などがあり,寄人には当代の代表的歌人が起用された。「後撰集」の撰者になった和歌所詰めの人たちは,梨壺の五人(大中臣能宣(おおなかとみのよしのぶ)・清原元輔・源順(したごう)・紀時文・坂上望城(もちき))として知られている。
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