朝日日本歴史人物事典 「藤原登子」の解説
藤原登子
生年:生年不詳
平安時代中期の尚侍。「なりこ」とも。藤原師輔と藤原盛子の子。村上天皇女御安子の同母妹。はじめ重明親王の後妻となり,2女を生む。姉を訪ねて宮中に出入りするとその美しい姿を盗み見た村上天皇が心を引かれ,人妻であるにもかかわらず求愛。安子は1,2度は黙認したが,以後は拒否。天暦8(954)年重明親王の死後,天皇は熱心に入内を促す。康保1(964)年の安子の死後,兄弟の勧めもあって入内が実現。登花殿に入る。天皇は彼女を寵愛するあまり政治を顧みなかったため藤原実頼が痛烈に批判したという。天皇の死後,安和2(969)年尚侍となり,天延1(973)年従二位になった。藤原道綱母とも歌の贈答をするなどの交流があった。
(京楽真帆子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報