李煜(読み)リイク(その他表記)Lǐ Yù

デジタル大辞泉 「李煜」の意味・読み・例文・類語

り‐いく【李煜】

[937~978]中国五代南唐最後の王。後主と称される。在位961~975。あざな重光。号、鍾隠しょういんに下って幽閉され、毒殺された。五代の代表的詞人で、初め作品は艶麗、晩年憂愁にみちた凄絶な詞風で新境地を開いた。

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精選版 日本国語大辞典 「李煜」の意味・読み・例文・類語

り‐いく【李煜】

  1. 中国、五代十国南唐の最後の王(在位九六一‐九七五)。九七一年、宋の藩臣となり江南国主と称し、後、宋に降った。書画詩文に長じ、詞は父の李璟とともに南唐の二主と称された。著「南唐二主詞」。(九三七‐九七八

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改訂新版 世界大百科事典 「李煜」の意味・わかりやすい解説

李煜 (りいく)
Lǐ Yù
生没年:937-978

中国,五代南の最後の国主。在位961-975年。字は重光。南唐後主,李後主とも呼ばれる。歌辞文芸,の作者として有名。10世紀の中国は地方政権が乱立するが,南唐は今の南京を都とし,長江揚子江)下流一帯を占めて富強を誇った。李煜はその3代目の風流君主で,詩文書画に秀で,また書画の鑑識と収集,筆墨硯紙の趣味の洗練など,のちの文人文化に大きな影響を及ぼした。しかしその国はやがて宋に滅ぼされ,幽閉されて卒した。唐代に起こった詞という新しい歌辞文芸を好み,宮廷生活を優雅に詠じていたが,幽閉されてのちの作は沈痛淒絶の調べに満ち空前絶後の名作といわれる。〈虞美人〉〈浪淘沙令〉などの詞が特に有名。もと通俗歌謡にはじまる詞は,宋代になると抒情的韻文として流行するが,その過程において李煜の存在は重要である。父の南唐中主,李璟(りえい)も数は少ないが優れた詞を残しており,2人の作を併せた《南唐二主詞》がある。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「李煜」の意味・わかりやすい解説

李煜
りいく
Li Yu

[生]天福2(937).7.7. 金陵
[没]太平興国3(978).7.7.
中国,五代十国の南唐第3代の王 (在位 961~975) 。初名,従嘉。字,重光。南唐最後の王なので後主と呼ばれる。中主李 璟 (りえい) の第6子。建隆2 (961) 年皇太子となり,同年 璟の没後即位。すでに南唐が属国となっていた後周はその前年宋に滅ぼされており,煜の仕事は宋に対する莫大な献上品で亡国を避けることであったが,開宝8 (975) 年にその努力もむなしく南唐は滅び,その後は宋の都 汴京 (べんけい) で幽閉されて没した。毒殺されたとの説もある。抜群の芸術的才能の持主で,詩文,書画,音楽にすぐれ,特にでは古今を通じて一流に数えられ,亡国以前には華麗な作があり,幽囚の身となった後半生には凄絶な絶唱がある。 (→南唐文化 )  

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「李煜」の意味・わかりやすい解説

李煜
りいく
(937―978)

中国、五代南唐の亡国の国主。後主(こうしゅ)と称される。初め従嘉(じゅうか)といったが、のちに煜に改めた。字(あざな)は重光。中主李璟(りえい)の第6子。961年(宋(そう)、太祖の建隆2)中主が没するとただちに即位、在位15年ののち、975年宋に下り、宋都汴京(べんけい)に幽閉され虜囚の生活を送った。978年(太平興国3)7月7日、42歳の誕生日に毒を盛られて殺された。若くして詩文、書画、音楽に通じ、わけても詞を得意とした。亡国前の作品は、愛の姿を天真爛漫(らんまん)に歌ったものが多い。幽閉後は深い望郷の思いと亡国の恨みを、せつせつと歌い上げた不朽の作が多く、詞の新生面を切り開いた功績はきわめて大きい。詞は李煜の作品とあわせて『南唐二主詞』に収められる。

[青山 宏]

『村上哲見注『中国詩人選集16 李煜』(1959・岩波書店)』

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367日誕生日大事典 「李煜」の解説

李 煜 (り いく)

生年月日:937年7月7日
中国,五代十国南唐の第3代王(在位961〜975)
978年没

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世界大百科事典(旧版)内の李煜の言及

【韓熙載夜宴図】より

…韓熙載は字を叔言,濰州(いしゆう)北海(山東省濰県)の人。後唐で進士となったが,父が明宗に誅殺されたため,南唐にのがれて三主に仕え,後主李煜(りいく)のとき中書侍郎にいたって卒した。李煜は,門弟,妾妓に囲まれ歌舞に身をやつしてはばからない韓熙載を責めいったん左遷したものの,その底にある意図を知って再び起用せざるをえない状況に追いこまれていた。…

【文房四宝】より

…文房四玩とか,文房四友あるいは文房四侯ともいう。中国で文房具に特に興味をもち出したのは漢代までさかのぼるようであるが,10世紀初期,五代の南唐の中主(李璟(りえい)),後主(李煜(りいく))という風流天子が出て,李廷珪(りていけい)の墨,澄心堂紙などの高級品をつくらせて,文房具は空前の発達をみ,中国人の文房具趣味を促した。さらに10世紀後半,北宋の高官蘇易簡(そいかん)は,《文房四譜》(《文房四宝譜》ともいう)5巻を著し,筆譜2巻,硯・墨・紙譜各1巻,それに筆格,水滴をつけ加えて解説をほどこした。…

【梵鐘】より

…ところが羅漢(らかん)の打ち鳴らす鐘声に救われ,ついに無限の苦しみから解放されたという。中国,南唐の後主李煜(りいく)は,死からよみがえった男に,地獄で先主李昪(りべん)と出会った話を聞く。先主は在世中の罪によって地獄で苦しみ,鐘を鳴らして救ってほしい,できれば新たに鐘を鋳てほしい,そう頼まれたことを伝える。…

※「李煜」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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