朝日日本歴史人物事典 「藤原芳子」の解説
藤原芳子
生年:生年不詳
平安中期,村上天皇の女御。左大臣藤原師尹の娘。天徳2(958)年10月に女御となり,宣耀殿の女御と呼ばれた。永平親王の母。父師尹は芳子に対し,手習いに励み,琴を人より上手に弾き,『古今和歌集』20巻を全部暗誦することを教育の基本とした。芳子が本当に『古今和歌集』を暗誦しているかどうか,その入内後に天皇が試してみたところ,ひとつも間違わなかったという話が『枕草子』にある。また大変見事な髪の持ち主で,内裏へ行くために牛車に乗ったとき髪の先はまだ母屋の柱のもとにあったなどといわれ,容貌に恵まれていたうえ和歌の素養もあり,天皇の寵愛を一身に集めていた。これを嫉妬した皇后安子は,壁に穴をあけて芳子に土器の破片を投げつけたという話が『大鏡』にみえる。ふたりいた皇子のひとりは早世し,もうひとりの永平親王は,顔形は良いが「御心きわめたる白物」(『大鏡』)であったなど話題の多い人物である。<参考文献>『栄光の女帝と后』(人物日本の女性史2巻)
(菅原征子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報