藤原資平(読み)ふじわらのすけひら

朝日日本歴史人物事典 「藤原資平」の解説

藤原資平

没年:治暦3.12.5(1068.1.12)
生年:永延1(987)
平安中期の公卿。権中納言懐平と中納言源保光の娘の子。叔父実資の養子となって小野宮家を継いだ。29歳のとき三条天皇蔵人頭となり,翌年,引き続き後一条天皇の蔵人頭になった。寛仁1(1017)年,31歳で参議に任じられ,極官の大納言を3年務め養父と同様在職のまま82歳の高齢で他界した。養父実資の薫陶を受けてすぐれた政治家となり,有職故実に通じていたことは『古事談』に載る三条天皇との会話からも知られる。実資の小野宮第の北宅に居住したこともあって藤原道長以下の卿相言動を伝える使者の役を果たすなど実資の手足となって行動した。<参考文献>吉田早苗「藤原実資家族」(『日本歴史』330号)

(朧谷寿)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「藤原資平」の解説

藤原資平 ふじわらの-すけひら

986-1068* 平安時代中期の公卿(くぎょう)。
寛和(かんな)2年生まれ。藤原懐平(かねひら)の次男。母は源保光の娘。叔父藤原実資(さねすけ)の養子となる。蔵人頭(くろうどのとう)をへて寛仁(かんにん)元年(1017)参議。正二位にすすみ,治暦(じりゃく)元年大納言。皇太后宮大夫をかねた。治暦3年12月5日死去。82歳。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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