朝日日本歴史人物事典 「藤原長良」の解説
藤原長良
生年:延暦21(802)
平安前期の公卿。冬嗣と美都子(尚侍。真作の娘)の長男。枇杷殿と号した。父が嵯峨天皇に重用された関係から仁明天皇(嵯峨天皇の皇子)に信任され,東宮時代から片時も離れることなく近侍,即位とともに左馬頭,蔵人頭に任じられ,のち参議。嘉祥3(850)年仁明が没したときには,「父母のごと」く追慕悲泣し,肉食を断ち冥福を祈ったという(『文徳実録』)。仁明朝以降は同母弟の良房に越階されているが,兄弟間には何のわだかまりもなかったというから,良房とは対照的に権勢にも淡白であったとみられる。子の基経は良房の養子となって藤原北家の正嫡を継承し,娘高子は清和天皇に入り陽成天皇を生んだ。正一位太政大臣を追贈。
(瀧浪貞子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報