コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

藤原長良 ふじわらの ながら

2件 の用語解説(藤原長良の意味・用語解説を検索)

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

藤原長良 ふじわらの-ながら

802-856 平安時代前期の公卿(くぎょう)。
延暦(えんりゃく)21年生まれ。北家藤原冬嗣(ふゆつぐ)の長男。母は藤原美都子(みつこ)。仁明(にんみょう)天皇の東宮時代から近侍。承和(じょうわ)11年(844)参議。のち権(ごんの)中納言,従二位。枇杷(びわ)殿とよばれる。弟良房に官位をこえられたが,高潔,寛容な人柄で人にしたわれたという。斉衡(さいこう)3年7月3日死去。55歳。贈正一位左大臣,ついで贈太政大臣

出典|講談社 この辞書の凡例を見る
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

藤原長良

没年:斉衡3.7.3(856.8.6)
生年:延暦21(802)
平安前期の公卿。冬嗣と美都子(尚侍。真作の娘)の長男。枇杷殿と号した。父が嵯峨天皇に重用された関係から仁明天皇(嵯峨天皇の皇子)に信任され,東宮時代から片時も離れることなく近侍,即位とともに左馬頭,蔵人頭に任じられ,のち参議。嘉祥3(850)年仁明が没したときには,「父母のごと」く追慕悲泣し,肉食を断ち冥福を祈ったという(『文徳実録』)。仁明朝以降は同母弟の良房に越階されているが,兄弟間には何のわだかまりもなかったというから,良房とは対照的に権勢にも淡白であったとみられる。子の基経は良房の養子となって藤原北家の正嫡を継承し,娘高子は清和天皇に入り陽成天皇を生んだ。正一位太政大臣を追贈。

(瀧浪貞子)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

藤原長良の関連キーワード内裏式藤原良相真作県春貞当麻浦虫所美都子藤原順子藤原三守藤原美都子藤原良世

今日のキーワード

トランスアジア航空

台湾・台北市に本拠を置く航空会社。中国語名は復興航空。1951年、台湾初の民間航空会社として設立。83年に台湾の国産実業グループに経営移管され、組織改編を実施した。92年に国際チャーター便の運航を始め...

続きを読む

コトバンク for iPhone