高倉家(読み)たかくらけ

改訂新版 世界大百科事典 「高倉家」の意味・わかりやすい解説

高倉家 (たかくらけ)

(1)藤原氏北家の流れ。閑院左大臣冬嗣の男,権中納言長良(802-856)の後裔。南北朝期の参議永季(1338-92)を始祖とする。家格は半家,旧家権大納言を極官とする。始祖永季が有職故実に通暁し,以後代々有職故実を家業とし,ことに装束の家として衣紋の調進をつかさどり,山科家と双へきをなす。政治史的には,江戸時代後期に宝暦事件に連座して落飾した永秀(1728-99),また明治維新に当たって,北陸道鎮撫総督兼会津征討総督となり,会津で戦死した永祐(1838-68)が知られている。1884年の華族令の制定により子爵を授けられた。なお江戸時代の家禄は812石。

(2)のち藪家(やぶけ)と称する藤原氏南家の流れ。左大臣藤原武智麻呂の後裔。鎌倉時代の初頭順徳天皇の外祖父刑部卿範季が高倉を号して以来室町時代末に及ぶが中絶し,江戸時代初頭に西園寺庶流の権大納言四辻公遠男の権大納言嗣良が高倉を号して再興した。しかし嗣良はまもなく家名を藪と改め,閑院家の一門となった。

(3)右大臣清原夏野(782-837)の後裔舟橋家は,江戸時代初頭の秀賢のときまで代々高倉を称してきたが,他の高倉と紛らわしいとして舟橋を称することにした。
舟橋家
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「高倉家」の意味・わかりやすい解説

高倉家
たかくらけ

藤原氏北家(ほっけ)の一流。冬嗣(ふゆつぐ)の長男長良(ながら)の子孫であるが、平安・鎌倉時代は公卿(くぎょう)に昇進する者は少なかった。しかし南北朝時代の永季(ながすえ)が参議となって以来、子孫も代々公卿に任ぜられるようになり、永季の曽孫(そうそん)永豊(ながとよ)が権中納言(ごんちゅうなごん)に、6世の孫永家(ながいえ)が権大納言に任ぜられてからは、権大納言を極官(ごっかん)とする家格が定まった。家名は、邸宅が京都高倉にあったことによる。代々朝廷の装束に携わり、それを扱う衣紋道(えもんどう)を家職とした。江戸時代の家領は812石。明治維新後は華族に列し、子爵を授けられた。

[飯倉晴武]


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