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逢坂関 おうさかのせき

4件 の用語解説(逢坂関の意味・用語解説を検索)

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

逢坂関
おうさかのせき

古代の関所。滋賀県大津市の南方の逢坂山にあった。関跡は西山茶屋ヶ谷に所在する。和銅2 (709) 年にはすでに設置されていたといわれ,のち愛発関 (あらちのせき) に代って鈴鹿,不破とともに三関の一つ。

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百科事典マイペディアの解説

逢坂関【おうさかのせき】

古代・中世の近江(おうみ)国の関所。滋賀県大津市の逢坂山にあった。大化改新に際して畿内の北限とされたが,関の施設は795年一時廃止。810年復活したとみられ,以後は愛発関(あらちのせき)に代わって三関(さんかん)の一つとなり,857年から健児(こんでい)を常置。
→関連項目関西

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世界大百科事典 第2版の解説

おうさかのせき【逢坂関】

近江国に置かれた古代の関。会坂,相坂とも書く。近江国と山城国との境の逢坂山にあり,現大津市逢坂1丁目付近に比定されているが不詳。逢坂山は646年(大化2)1月のいわゆる〈大化改新詔〉に畿内の北限として見える。関設置の時点は不明であるが,795年(延暦14)8月に廃止されている。一方,789年に停廃されていた三関(鈴鹿,不破,愛発(あらち))は,その後も天皇が没した場合などに固関(こげん)が行われたが,810年(弘仁1)9月平城上皇の平城遷都に際しての固関以後は,三関のうち越前愛発関にかえて近江国の関が固められるようになった。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

逢坂関
おうさかのせき

近江(おうみ)国大津(滋賀県大津市)の南方、逢坂山にあった古代の関所。810年(弘仁1)9月以前、愛発関(あらちのせき)にかわって、鈴鹿(すずか)関、不破(ふわ)関とともに三故関(さんこかん)の一つ。東海、東山両道が合して京都に入る要衝にあたり、京都防備の軍事的性格が強い。関の起源はつまびらかではないが、大化改新の詔(みことのり)によって設けられたものと思われる。709年(和銅2)藤原房前(ふささき)が東海、東山2道の関(かんさん)(関所、とりで)検察のおり、近江守(おうみのかみ)が賞揚されていることからみて、このときすでに設置されていたことがわかる。795年(延暦14)一時廃されたが、事あるときは兵を出して守らせた。857年(天安1)ふたたび関を設け、国司、健児(こんでい)が守った。以来、大嘗会(だいじょうえ)、即位式や有事の際は固関使(こげんし)が関を固めた。[田名網宏]

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世界大百科事典内の逢坂関の言及

【関寺】より

…世喜寺とも書く。逢坂関(おうさかのせき)の東の街道ぞいにあった古寺。創建年次は不詳。…

【蟬丸】より

…また,博雅三位(はくがのさんみ)が童のころ,木幡にいた卑しい盲目の法師のもとへ百夜通って琴の秘曲を授けられたという類話が《世継物語》に書き留められている。これら古い説話を見ると,近江国逢坂関の近辺にたむろして,音曲を奏して旅人を慰めていた放浪芸能民に関する伝承が原型であったと思われる。それが,いつのころか〈蟬丸〉という個人の名に仮託して語られるようになり,さらにこの蟬丸を〈芸の始祖〉〈音曲の守護神〉と奉じた盲目の琵琶法師たちによって神格化が行われたのであろう。…

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