改訂新版 世界大百科事典 「逢坂関」の意味・わかりやすい解説
逢坂関 (おうさかのせき)
近江国に置かれた古代の関。会坂,相坂とも書く。近江国と山城国との境の逢坂山にあり,現大津市逢坂1丁目付近に比定されているが不詳。逢坂山は646年(大化2)1月のいわゆる〈大化改新詔〉に畿内の北限として見える。関設置の時点は不明であるが,795年(延暦14)8月に廃止されている。一方,789年に停廃されていた三関(鈴鹿,不破,愛発(あらち))は,その後も天皇が没した場合などに固関(こげん)が行われたが,810年(弘仁1)9月平城上皇の平城遷都に際しての固関以後は,三関のうち越前愛発関にかえて近江国の関が固められるようになった。これは逢坂関とみられる。しかし平時の警護は行われなかったらしく,857年(天安1)4月には近江国大石・竜華とともに旧関相坂に関を置き健児(こんでい)に鎮守させるようになったが,いずれも山城から近江への入口にあたり,京中に盗賊が横行したことへの対策と思われる。なお,逢坂の北方には小関地名があり,平安京から山科を経て東行する東海・東山・北陸道のうち,前2道は逢坂関(大関)を通り,途中北に分かれた北陸道は小関を通過した。
執筆者:館野 和己
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報