巡察使(読み)じゅんさつし

日本大百科全書(ニッポニカ)「巡察使」の解説

巡察使
じゅんさつし

令制(りょうせい)官職の一つ。太政官(だいじょうかん)に所属し、臨時に諸国を巡察して、地方官の監督や人民の視察にあたる官。令前では685年(天武天皇14)北陸道を除く六道別に使1人、判官(じょう)1人、史(さかん)1人を派遣して、国司、郡司および百姓(ひゃくせい)の消息を巡察させたのが初見。その後712年(和銅5)毎年派遣することになり、744年(天平16)には畿内(きない)七道諸国に遣わし、32条の巡察式(執務の細則)を発布した。このときの構成員は、西海道は四等官(しとうかん)、他は三等官制である。758年(天平宝字2)に至り三年一巡の制を定め、795年(延暦14)いったん中止。824年(天長1)再置したが、830年以後は廃止された。

[渡辺直彦]

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旺文社日本史事典 三訂版「巡察使」の解説

巡察使
じゅんさつし

律令制下,太政官に属する臨時の視察官
諸国を視察し,人民窮乏を調査する役職。694年に始まり,712年に毎年の巡察,758年には3年に1回となり,830年に廃絶

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精選版 日本国語大辞典「巡察使」の解説

じゅんさつ‐し【巡察使】

〘名〙
① 奈良・平安時代、諸国地方官の治績を巡察し、人民の生活を視察する官。令制では太政官に属し、臨機に設置される官と規定されている。平安時代に消滅した。
※令義解(718)職員「巡察使。〈掌察諸国。不常置〉」
② 明治二年(一八六九)、岩代国(福島県)、三陸(宮城県・岩手県・秋田県・青森県)、両羽(秋田県・山形県)に置かれ、その地の監督にあたった職。同年廃止。同三年、豊後(大分県)に、同四年信濃(長野県)に一時設けられた。
※第四六三‐明治二年(1869)五月一八日(法令全書)「岩代国巡察使被仰付候事」

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旺文社世界史事典 三訂版「巡察使」の解説

巡察使
じゅんさつし
Missus Dominicus (ラテン)

フランク王国のカール1世(大帝)によって確立した,行政的調査や役人および地域状況の把握を行う役職
メロヴィング朝の時代から認められるが,カロリング期に国王巡察使として恒常的な制度となった。カール大帝によりフランク王国は巡察使管区に分けられ,司教などの高位聖職者俗人有力者の2人が,年4回巡回を行うこととされた。彼らは約500にもおよぶ伯たちの司法・行政を監督し,王国の中央集権に貢献した。

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世界大百科事典 第2版「巡察使」の解説

じゅんさつし【巡察使】


[中国]
 の官職名。常設ではなく,定員はない。名称も存撫使,按撫使などと一定でない。皇帝の直接任命により,地方行政監察のため派遣された。その視察報告は地方官勤務評定の材料とされた。634年(貞観8),13名の諸道黜陟(ちゆつちよく)大使(観風俗使ともいう)が派遣されたのが最初である。733‐734年(開元21‐22)に採訪処置使と改称して各道に常駐させるようになった。安史の乱中,観察処置使と改称し,以後しだいに監察官からの上級区分の民政長官としての性格を帯びるようになった。

じゅんさつし【巡察使 missi dominici[ラテン]】

フランク王国の役人。国王から派遣され,地方行政の査察任務とする。巡察使の制度はメロビング朝(481‐751)時代から認められるが,恒常的なものでなく,カロリング朝(752‐987)時代に国内行政の重要な機構として,恒常的制度となった。巡察使は担当管轄区ごとに聖職者と俗人の2名が任命され,年4回巡回する。国王の代理として大幅な権限を有し,地方官や教会聖職者の任務遂行を査察,報告し,国王にかわって住民忠誠宣誓を受けた。

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世界大百科事典内の巡察使の言及

【按察使】より

…中国,唐から清までの上級地方官名。唐は全国を10道に分けたが,最初は特定の官を置かず,巡察使,存撫使などの名で,地方の水旱,刑獄,勤務状況などを査察させた。711年(景雲2)それが10道按察使として固定し,改廃もあったが,玄宗時代まで継承され,秋冬に受持州県を巡察した。…

【カロリング朝】より

…キェルジーQuierzy‐sur‐Oiseの勅令が,王とともに遠征して戦死した伯の男子に,伯職の継承を認めたことは,事実上この職や,ひいては恩貸地をも世襲化することになった。 伯は絶えず王の巡察使の監督をうけていたが,その管区に属する臣下のすべてを掌握してはいない。王はおりにふれて臣下の忠誠誓約をとりつけたが,忠誠誓約者fidelesが教会信徒fidelesと同じ語で呼ばれるところから,〈教会と朕のフィデレスfideles〉という定式句を作り,教会と国家の統一,さらに国家全体の統一を印象づけようとした。…

【巡回裁判】より

…官僚機構や貨幣による報酬,交通手段などの不備な時代には,地方在住の地方役人に大きな権限を与えると土着貴族化し,地方分権化の危険が多かったため,中央の宮廷から臨時的に派遣される裁判官による裁判および地方役人の監督方法であった巡回裁判制は,中央政権が地方を統一的に統治する一つの有効な手段であった。フランク王国9世紀のカール大帝による巡察使が早期の例として有名であるが,イギリスではとりわけ12世紀後半から組織的にこれが使われだし,地方法の駆逐,王国共通法であるコモン・ロー形成に一役買っており,現在でも英米法系の司法制度の一特色として残っている。 イギリスでは,長い間高等法院の裁判官を中心に七つの巡回区を定期的に巡回していたアサイズ裁判assizesという巡回裁判があったが,1971年の大改革によって廃止され,現在は上位裁判所がイングランドとウェールズを通じてロンドンにしかない点では変わらないが,地方での裁判組織は,民事は全国を約400の管区に分け,そのそれぞれにカウンティ裁判所があり,それらのいくつかがさらに一つの巡回区にまとめられている。…

【フランク王国】より

…この政策がどの程度貫徹したかについては,新旧の学説で評価が分かれるが,少なくともカール大帝の下では,かなりの成功を収めたことは疑いない。さらに大帝はグラーフの任務遂行を監督するため,国王巡察使制度を強化し,詳細な報告を要求した。だがこのような中央集権的統治も,カール大帝のような優れた統治能力をもつ人間の下でのみ可能であったので,王権の弱体化した後期カロリング朝時代には,グラーフの在地豪族化の傾向を抑えることはできなかった。…

※「巡察使」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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