朝日日本歴史人物事典 「藤岡甚三郎」の解説
藤岡甚三郎
生年:天保10(1839)
明治期の養蚕改良家。甚三郎の初代。信濃国安曇郡中萱村(長野県三郷村)生まれ。「窮理法」と呼ばれる秋蚕用の不越年蚕種の製造方法を考案した。不越年種の製造は低温で催青(蚕の卵を孵化させるため温度などを調節した環境におく)することによって可能であることを経験的に発見したのである。これは秋蚕種の生産を安定化し,秋蚕の普及を促進する要因となった。「窮理法」の発明と普及の経緯については諸説あり,まだよくわかっていない点があるが,地味ながら聡明な一農民の経験に基づく技術開発が農業を進歩させた例といえる。<参考文献>藤岡甚三郎(2代)『秋蚕』(『明治農書全集』9巻)
(松村敏)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報