藤懸城跡(読み)ふじかかりじようあと

日本歴史地名大系 「藤懸城跡」の解説

藤懸城跡
ふじかかりじようあと

[現在地名]山北町府屋 古館・府屋沢

文禄(一五九二―九六)頃の瀬波郡絵図には「大河河」左岸垣根木立に囲まれた「藤懸館」が描かれ、その背後に松の生えた山があり、「ふる城」と記されている。「大川之町」(現在の府屋)は藤懸館から川沿いに走る道の両側に並んでいる。永禄一二年(一五六九)正月本庄繁長と抗争中の上杉輝虎に属した大川長秀は、本庄方の籠る「藤懸」の城を攻めたが失敗し、いったん退却したのち、黒川俣くろかわまた中次なかつぎ(継)と出羽燕倉つばめくら要害普請、再度藤懸城に軍をすすめることとした(同年正月一三日「上杉輝虎書状」歴代古案、同一七日「大川長秀書状」上杉家文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

苦肉の策

敵を欺くために、自分の身や味方を苦しめてまで行うはかりごと。また、苦しまぎれに考え出した手立て。苦肉の謀はかりごと。「苦肉の策を講じる」...

苦肉の策の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android