藤本善右衛門(読み)ふじもと・ぜんえもん

朝日日本歴史人物事典 「藤本善右衛門」の解説

藤本善右衛門

没年:文政5.3.26(1822.5.17)
生年:安永2(1773)
江戸中・後期養蚕家,蚕種商人。本姓は佐藤だが,一族本家であることを示すために藤本と称した。名は昌信。善右衛門は世襲名。信濃小県郡上塩尻村(上田市)に生まれる。上塩尻村は江戸時代から明治時代にかけて,信州の蚕種業の中心的位置を占めていた。その上塩尻村で養蚕業に携わってきたのが藤本家で,歴代養蚕業の発展に寄与してきた。昌信は同村の佐藤嘉平次ら9人とはかって,文化5(1808)年に上州前橋北在原之郷村(群馬県富士見村)の高山要七に依頼して,同人妻などを「糸挽指南」に招いて糸挽き技術を普及させた。 幕末明治期に活躍した孫の藤本縄葛(1815~90)も善右衛門の名を継ぎ,養蚕業の普及発展のため塾を開き,伝習生のために『蚕かひの学』(1841)を著した。弘化年間(1844~48)には蚕種の新品種「信州かなす」を発見,明治3(1870)年には蚕種輸出組合「妙々連」(のちの均業社)を組織し大々的に輸出,5年には長野県の蚕種大総代となり,蚕種に関する諸条例,規則などの策定に尽力した。<参考文献>「佐藤嘉三郎家文書」(上田市立博物館所蔵),上田市立博物館編『郷土産業 養蚕・製糸』

(斎藤洋一)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「藤本善右衛門」の解説

藤本善右衛門(2) ふじもと-ぜんえもん

1815-1890 江戸後期-明治時代の養蚕家。
文化12年生まれ。藤本善右衛門昌信(まさのぶ)の孫。家業の養蚕業をついで,新技術導入,蚕種開発をおこなう。明治5年長野県蚕種大惣代(そうだい)。妙〓(“虫へん”に「少」)連(のちの均業社)を組織して蚕種の輸出,伝習生の養成にあたる。平田篤胤(あつたね)門にまなび,16年「聖陵図草」をあらわした。明治23年6月18日死去。76歳。信濃(しなの)(長野県)小県郡出身。号は縄葛(ときかず)。

藤本善右衛門(1) ふじもと-ぜんえもん

1773-1822 江戸時代後期の養蚕家。
安永2年生まれ。信濃(しなの)(長野県)小県(ちいさがた)郡上塩尻村の豪農。文化5年有志とはかり上野(こうずけ)(群馬県)から高山要七をまねいて糸挽(ひ)きの技術をひろめた。埴科(はにしな)郡新地村に糸市をひらくが,上田市場の反対で閉鎖。かわって松代(まつしろ)に糸市を開設した。文政5年3月26日死去。50歳。名は昌信(まさのぶ)。著作に『蚕かひの学』。

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