朝日日本歴史人物事典 「藤本善右衛門」の解説
藤本善右衛門
生年:安永2(1773)
江戸中・後期の養蚕家,蚕種商人。本姓は佐藤だが,一族の本家であることを示すために藤本と称した。名は昌信。善右衛門は世襲名。信濃国小県郡上塩尻村(上田市)に生まれる。上塩尻村は江戸時代から明治時代にかけて,信州の蚕種業の中心的位置を占めていた。その上塩尻村で養蚕業に携わってきたのが藤本家で,歴代養蚕業の発展に寄与してきた。昌信は同村の佐藤嘉平次ら9人とはかって,文化5(1808)年に上州前橋北在原之郷村(群馬県富士見村)の高山要七に依頼して,同人妻などを「糸挽指南」に招いて糸挽き技術を普及させた。 幕末明治期に活躍した孫の藤本縄葛(1815~90)も善右衛門の名を継ぎ,養蚕業の普及発展のため塾を開き,伝習生のために『蚕かひの学』(1841)を著した。弘化年間(1844~48)には蚕種の新品種「信州かなす」を発見,明治3(1870)年には蚕種輸出組合「妙々連」(のちの均業社)を組織し大々的に輸出,5年には長野県の蚕種大総代となり,蚕種に関する諸条例,規則などの策定に尽力した。<参考文献>「佐藤嘉三郎家文書」(上田市立博物館所蔵),上田市立博物館編『郷土の産業 養蚕・製糸』
(斎藤洋一)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報